学年時代には、学年が上の人と話すと勉強になることが多かった。
何か埋め難いレベルの差が、確実にあった。
高校の頃は留年とかはほとんどなかったんじゃけど、大学へ行くと浪人やら留年で、年上の人と一緒になることが多かった。
その浪人やら留年は、上へ行くにつれて増えていき、かつて先輩じゃった人が同じ学年になったり、下の学年になったりした。
まず大学に入ってから出くわしたのが、一浪の同級生多数と、二浪以上の同級生少数。
半分ぐらいは、一浪だったんじゃないんかねぇ。
入ってしばらくは、さすが年長者いう感じがしたんじゃけど、半年もせんうちに、なんか同じぐらいのレベルになっとった感じがするんよね。
初めは一浪組の人らを、さんづけで呼んどったんじゃけど、それを見た先輩に怒られた。
お前なぁ、いくら年上でもさんづけはやめろよな。ここでは、入った年次が絶対なんや。今度さんづけしたらシバクぞ。
う~ん、そんなもんかもしれんねぇ。
仕方ないけえ、君づけで呼ぶことにした。
なるほど、そしたら親近感が増して楽しくなった。
すると、一浪組の人でジャレ合う人も出てきた。
空手部に入ったO君が、技を覚えたとかで、いつも寄って来ては乱取りの真似ごとをした。
オラオラ~っ!お前みたいなバカガッパにナメられてたまるかぁ~とか言いながら回し蹴りをくり出す。
しかし、アッサリ受け止められて、逆にブスブスに秘孔づきの返り討ちになり、覚えとけよ~とか言いながら退散する。
秘孔づきの時は、うっわ、いたいたいたぁ、やめてやめてぇ、うっわ、こいつジャレにならんわとか言う。
去り際に、お前みたいなバカガッパ、いつかやっつけたんぞ~とか言うのを、また捕まえて秘孔づきのスタンバイすると、あっゴメンゴメン、もうしませんゴメンねとか言うた。
やられるのわかって来よるのが、なぜかわからんかった。
入った時上の学年で、途中から下の学年になった先輩とかは、ある意味ヤリづらかった。
入った年次が絶対いうことで、呼び方はさんづけになるんじゃけど、毎回六崎く~んテスト勉強教えてくれ~と来る。
来るのはええんじゃけど、どの先輩もやはり一癖あって、ままならんかった。
私が教える立場になると、さすがに上級生効果が出て、やはり下級生を教えとるのと同じ感じじゃった。
あらら、レベル私が超えちゃったのねとか思いながら、先輩ここはこう覚えてねとか一応丁寧に教えてあげた。
しかし、元上級生のプライドなのか、反発したり威張ったりする人とかがおって、通常の後輩を教えるのよりヤリづらかった。
六崎君、君はここを覚えろって言うけど、覚えられなくて困ってるからこうして来てるんじゃないかとか、ポイントを教えたにも関わらず酒を飲みに行き勉強せんでまた落ちたとかいろいろ。
そんな人が同級生の時には、テストの結果発表の時に、なんかリアクションが変じゃった。
六崎く~ん、有機化学どうだった?
前期の中間ではペケ食らいましたが、なんとか通りましたよ。
そ、そうか、やるなぁ。
そこで思うた、え?やるなぁってどういうこと?通らんかったら単位デカいし留年じゃないんかってね。
そんで、留年後改めて、六崎君すごいなぁ、どうすればいいの?って来る。
いやぁ先輩、有機化学は暗記なんかせずに、電子の動きがわかれば簡単です。ここをこう動いて反応が進みます。
だからね、その電子の動きがわかんないから困ってこうして来てるんじゃないか!
これが普通の後輩なら、いいか、わかったか、わかったらそれだけやっとけよとか言うて、向こうもわからんでも先輩が厳命したことじゃけえ、なんとか頑張るみたいなのがあった。
この学年の持つ魔力は、学年時代には強固で崩し難く、ほぼ上級生には勝てんかった。
みんなして勉強しとるけえ、みんなして進むんよね。
しかし、社会出ると学校の強制から解放されよるけえ、勉強や修行を続ける人はまれになる。
逆を言うと、精進しとる人とせん人の差が、年々拡大することになる。
向学心のある人は、いろんなとこで学びを得ようとするんじゃけど、それはもう個々の努力でやるしかない。
そういう意味で、絶対学年がある。
これで生前とうとう超えられんかった磯貝さんの見識は、やはり上級生の言葉として私には大きく響いた。
絶対学年には、年数もさることながら、密度もあるんで、学びの時間密度を上げることで先の者を追い越すこともあり得たりするんよ。