3.11から、早いものでもう7年になります。
それまでは、東京での平穏な暮らしがありました。
午後3時ちょい前に、だいぶ長い揺れが続いたことを今でも覚えております。
東日本大震災、さらにそれに続く大津波と原発事故。
それが、私の生活を一変させました。
福島原発が制御不能になり、爆発。
放射能が東京にも来る!
チェルノブイリ原発事故で、広範囲が放射能汚染されたことは、国土の狭い日本ならそのかなりの部分が影響を受けることは容易に想像できた。
た、た、た、た、退避~っ!
すぐさま戦時体制になり、逃避行。
幸い月の半分が休みじゃった私は、関東に飛来した放射能の雲をほぼ無傷で回避した。
その後放射性ヨウ素は急激に減って、関東にはセシウムがチビチビ積もることになった。
大震災の後には、食糧の供給不足や計画停電など、インフラの脆弱さをイヤと言うほど見せつけられた。
意を決して西日本への移転を計画し、岡山を目指して結局姫路になった。
宇宙戦艦ヤマトで言う無差別ワープで、姫路から網干までならどこでもええいう感じでワープ。
放射能の雨で友人を亡くし、傷心のままほぼ何もないとこへワープアウト。
に、逃げられた。
ホッとはしたものの、途方に暮れた。
無に近い状況から、周りを見渡すとそれなりに活用可能なもんはないかと考え始めた。
かつて漢の劉邦が、打倒秦を成し遂げて領地配分になった時、楚の懐王の約束の漢中王いう話じゃったのを、楚の軍師の策略で広い意味での漢中の僻地巴蜀に追いやられたのに似とる。
巴蜀に封じられた劉邦は、張良の説く巴蜀での利点を信じてしばらく耐えた。
巴蜀での利点は、山に遮られとることで攻められんことがまずあり、そこで兵馬を養えることがある。
兵士が東に逃げ帰ろうとしても、逃げられん。
東へ攻め上るに際しては、兵士は故郷へ帰れるいう思いから、懸命に働くようにもなる。
やがて中央への出口の三秦を倒し、項羽を咸陽から彭城へ移し、諸侯を味方につけることで楚を倒せる。
張良が引き抜いてきた韓信を大元帥とし、それを実現させた。
今の私がある立場は、劉邦が左遷された如く東京から離れ、そろそろ持ち家が間近に迫った状況。
持ち家が手に入れば、巴蜀を得たのと同じ。
劉邦が目指した咸陽は大阪にあたり、大阪にあるアマゾンのキンドル電子書籍で打って出るいう感じになる。
インフラの脆さを痛感したことで農業を始め、今やカイアポいう武器も手に入れた。
漢楚の戦いでも、弱いように見えた漢が実は弱くはなく、強いように見えた楚を破った。
東京を離れ、弱いように見えた私も力は蓄えられ、状況は見違えた。
あとは兵法の定石通り、強みを活かして攻め、漸進姿勢で進み、新たな友軍を待ちつつ、関東残留組みを助ける。
天の用意してくれた、これまでの努力に対する褒賞とも言える状況を活かし、天意の命ずるまま進み、カルトに布石を打ちつつ成すべきことを成すだけじゃ。
原発事故の当時は生きた心地がせず、あんな思いは二度とくり返したくはない。
しかし、懸命に再建してきた今の状況は、一つの安心立命いう感じがする。
東日本大震災から7年、あれから人それぞれの歳月があったじゃろう。
しかし、私の7年は充実したもんじゃった。
カイアポの事業を軌道に乗せ、ぽんたたちを関東から逃がし、皆で安泰になることを目指し、日々積み重ねるのみじゃ。