昨日、新参のKさんから手紙が来ました。
新参の人によくありがちな、既存のものとの比較や当てはめがありました。
真言宗のようで、そこでやられとる加持祈祷とかのこととかと、私の小冊子の技の説明とかをいろいろ比較し、当てはめたりしておりました。
手のひらに墨で九字を書くとか、名前を書いてどうのこうの。
やっとることの見かけは、似たようなことなんじゃろう。
しかし、世間一般でやられとるそういうもんは、大多数が全く効きません。
九字とかの図形も、一般人、あるいは普通の僧侶でもほとんど効かんじゃろう。
それだけの効果が出せるとは思えない。
やはり、書く人の資質や魔法力によるところがデカい。
そこらへんのお坊さんなんかより、例えばうちらのメンバー前やんなんかの方が、はるかに巨大なパワーが出せる。
既存のそうしたものも、全く意味がないか言うたら、そんなこともないんじゃけど作法の勉強にしかならんね。
気合いを入れようが、塩とか水とか使おうが、効かんもんは効かんし、効くもんは効く。
気の感覚を頼りに修行をし、練り上げたパワーがないと効かんのよ。
いくらお経をあげようが、そのお経の勉強をしようが、ダメなもんはダメなんよ。
まあ、目に見えんことをええことに、そういう商売のためにやりよる人は詐欺じゃろうし、悪質な場合は地獄に行くことになるんよね。
そんな人、たくさんおるじゃろう。
お坊さんも、大学とか出て得度してなるんじゃろうけど、その延長でやりよるだけじゃけえ、何も知らん人って多いじゃろう。
そんなの効くわけがないわ。
新参の人は、私に会うて技の実演を見るまではわからない。
わかれば、既存のもんが色あせて見えるようになる。
私を遠巻きに見とる人はおるじゃろうけど、会いに来なければ何も変わりません。
連絡とって会いに来るべきです。
波動が使えるようになると、見える世界が変わります。