私は薬学部じゃったけえ、結構留年する人を見てきた。
一緒に入学式に出て、一緒に卒業できた人は80パーセント。
2割がどこかで引っかかって別々に。
上からなだれ方式で一緒になって、それで卒業する先輩方もおった。
留年した人をいろいろ観察してきたんじゃけど、やる気がなくて途中でドロップアウトしていく人は、今回の話にはなりません。
やる気はあって頑張っとるんじゃけど、武運つたなく留年いう人らです。
まあ大きくは武運つたなくになるんじゃけど、厳密には留年するべくしてする人もおるんで、そのあたりご理解下さい。
武運つたなくいう人らは、通常留年なんよ。
体調悪くて一単位や二単位ぐらいの差で留年したとかいう感じで、そのあとは普通に卒業なんよ。
しかし武運つたなくに入らん人は、そんとなやり方ではダメじゃいう感じの人が多くなる。
そういう人らは留年が嵩みまくり倒して、8年コースを辿った。
留年は2回連続すると除籍となり、強制退学。
今は6年制なんじゃけど、私らの頃は4年制じゃったけえ、マックスで8年となる。
中には休学いう裏技を使うて、10年越え超記録に挑むツワモノもおった。
私はなぜかそういう人らに縁があって、六崎君六崎君とよく頼られた。
私が入学した時には上級生じゃった者が、途中で先輩後輩が逆転してしまい、教える立場になってしもうた人もおる。
通常留年の人は話しとっても違和感がなく、留年のことは運が悪かったですねみたいな感じで、本人も仕方ない頑張るかぐらいなんよね。
しかし、多重留年の人らは変な悲壮感とダラケ感や病的な何かがあり、うわちゃ〜いう感じがそこかしこ。
そのうわちゃ〜さ加減は人それぞれなんじゃけど、凝り固まった何かを感じさせた。
ある先輩のええ加減さに対して私が意見を言うと、わきで見とった後輩が割って入り、無言で首を横に振った。
言うてもムダいうことじゃった。
一言で言えば要領悪いのはその通りなんじゃけど、その要領の悪さがあまりにも病的なんよ。
留年せん人や通常留年者とは、感覚が違うたんよ。
えっ?なんで?とか思うことが多かった。
こういうふうにやったらええやん、こうやるだけですよ、そういう理屈が通じない人らじゃった。
なぜそうなるのかはわからんながら、他とは違うリアクションに戸惑いつつも対処。
時には、先輩もう学校辞めた方がええですよとブチキレながら言うたことも。
彼らに共通して言えたのが、単位を取ることに対してやるなぁすごいなぁを連呼すること。
へっ?なんですごいの?落としたまんまじゃ卒業できんのよ、単位取れて当たり前でしょうって思うた。
当たり前のことが、彼らからはすごい一大イベントなのであった。
知り合いのアスペルガーの人でも似たようなことは言えて、毎年取り組むサツマイモが一大イベントなんよ。
決して成功しないサツマイモ栽培、それはかつての万年留年組が取っても取っても単位を取りきれず、留年していく姿に似とる。
他の人があんたこうすりゃええじゃん言うのができん知り合いのアスペ、学生時代の状況は他の皆さんにはわからんのじゃけど、私が見る限りあの頃と同じなんよね。
知り合いはアスペルガーながら進級はスムーズで、覚えちゃ忘れをくり返しながら大学院まで行った。
アスペルガーでもいろんなタイプがあり、テストだけは通せるのもおるようなんよ。
しかし実務ができんことはその通りで、結果は同じになる。
わきから割って入った後輩が無言で首を横に振ったように、個別の事案に関してのアドバイスはほぼムダじゃと言えるんじゃろう。
何やらぶつくさ言うとることも、本人にとっては意味のあることなんじゃろうけど、全く意味がないことだらけで、やがてその本人にも意味がないことになっていく。
不毛じゃ、なんつう不毛な人生なんじゃ。
しかし、底が抜けた桶で井戸水を汲むように、時間と共に少しずつは進んでいく。
そんなこんなのくり返し。
やはり、どこかで心因的な問題を解決せにゃ、無意味さの無限ループになってしまう。
かつての万年留年組との交流の中に、特有の何かがあるには違いない。
あれは、得難い経験じゃったと思う。
バグの発生パターンを読み、その回避を習慣づけるしかない。