大学時代を故郷から遠く離れた他の都道府県で過ごしたことは、本当によかったとしみじみ思うんよ。
その環境の過酷さは置いといて、しかし言葉や文化や習慣の違う所で若い頃に過ごすいう経験は、得難い貴重な経験なんよ。
通学では、どんだけ遠くても実家いう安全地帯があるんで、あんまり意味はない。
ただ、ちょっとやそっとでは帰れんとこにおると、そこで一人でやっていかにゃいけんけえ、その苦労は後々生きることになる。
カルト教団Kの学園が山奥に閉じ込められただけになるいうのと違い、違う文化圏の街の近辺に住めるのは、かなりいろいろ勉強になるんよ。
地元の茨城県と大学のある金沢市では、言葉も文化も習慣もかなり違うとって、石川県独自のもんが相当あって順応するのが大変じゃった。
別に石川県じゃなくてもよかったんじゃけど、東京大阪名古屋博多のようなメジャーな都市圏ではなく、地方の中核都市であることがよかった。
そういう意味では、松江や大分、秋田、富山、宮崎、まあいろいろあるんじゃけど、そういうローカル色が強いとこがええね。
広島や岡山、神戸、京都、仙台、こういうとこは幹線での便がよくてわりと大都市じゃけえ、あんまり独自のレアな経験はないんよね。
まあ社会に出てから広島とはだいぶつながりができたことで、それはそれでよかった。
あれも、学生時代じゃなくてよかったと思う。
他に大分や佐賀とかあったんじゃけど、ここら辺なら学生時代の金沢と交換してもええかのう。
ただ、カルマの解消とかの問題とかからすると、まあ金沢市じゃったいうことなんよね。
金沢市で味わった苦難困難は、はね返して糧にできたし、あの短い期間によくぞあそこまでいろいろ経験できたと思える。
茨城県からは、福島から静岡ぐらいまでと関東一円はほぼ同じような文化圏。
あるいは甲府や仙台ぐらいまでも、似たようなもんかもしれん。
そんとなとこより、まるで違う環境の方が経験は新鮮じゃった。
金沢を含む北陸は、北陸文化圏ではない。
富山、金沢、福井は、それぞれ独立した文化圏であり、明らかに雰囲気が違う。
どこに生まれたかにもよるんじゃけど、やはり異質な文化圏を味わうのがええね。
関西出身なら、関東や東北文化圏がええじゃろう。
九州四国出身でも、そうよね。
逆に関東東北の人らは、関西や四国九州になるか。
そういう大まかなことが言えるんじゃけど、独自の文化圏を持つとこは、とにかくレアな経験を積める。
今後の進学を考えるにあたり、そういう視点で考えることも面白いじゃろうね。
大学時代の下宿は陸の孤島であり、不便ではあった。
その土地特有の、ヤバい事情もあった。
あの不便さに二度と戻りたくはないんじゃけど、それでもええ経験したと思える。
あの経験が、若い頃の成長に寄与してくれた部分は大きい。
言葉も地元出身者と同じようになり、茨城に帰るとその言葉に違和感を感じるようにもなった。
金沢に根付くことになるわけではなかったんじゃけど、それでもその風土に一度どっぷりと浸かり、その土地の人たちの意識と同化した。
それで見えてくるものもある。
高校までと違い大幅に変わった環境は、だいぶ私を作り変えてくれた。
若い頃の異文化との接触、いろんな意味でやっとくべきなんよね。