実家の地獄を離れ、1人で金沢に旅立った私。
陸の孤島であり、学業と気功修行とバイトに明け暮れた。
ビデオでは、アニメや撮影に凝っていた。
こうしたものが下地にあって、現在の能力につながっとる。
気功修行は波動に、ビデオ撮影はYouTubeにつながっとる。
裏庭で植えたサツマイモは農業につながり、とにかくテストに追われながらも両親がおらんようなったことで、スキルアップに尽力できた。
当時の技術や設備は拙かったものの、確実に血肉になった。
若い頃、何かに突き動かされるように打ち込んだ日々。
これはいずれ、何かの役に立つとか思うてやったこと。
結果的に今では消えてしもうたVHSのシステムなどはあるものの、編集してもスキューや反転ノイズ、トラッキングのズレや色だれが起きないスマホの機能に、時代の変化を感じさせられる。
そのいずれ何かの役に立つって思わされたこと、その感覚は大筋で当たってはおったんよね。
その打ち込んだ延長線上に今の能力があるんで、さらにまくった先に活路があるいうことになる。
通り過ぎた道の中に学びがあり、さらに実績も残してきた。
何の能力もなく、満身創痍で入った大学。
あの時の心細さは、何事にも例え難い。
しかし、その中で暗中模索の日々。