セシウムカルトのn崎は、家庭内での横暴から一家全員に夜逃げされ、なおかつ借金まで押し付けられた。
一家全員にそこまでされるいうのは、まあよほどのことなんよね。
本人は同性愛者で私が好きなものの、その恋愛が成就しない。
奥さんや子供がおるのに、職場では男っぽい女性を追いかけて屈折した女漁り。
家庭内では、我欲を通すための鉄拳制裁。
嫁にも手を上げる、サイテーなやつなんよね。
さすがに怨みを買うたんか、夜逃げされてなんやかやで一年半ぐらいになるじゃろか。
仕事を辞めて引きこもり、家の近くの土地を開墾しながら食費節約のための農業を始めた。
仲が悪かった近所のオバハンに土下座して、やり方を習うていろいろ作るようになった。
なるほど追い詰められて必死になり、それなりに努力しとるのう。
それで試行錯誤しながら、それなりに収穫もできるようになったんよね。
ふむふむ、さすがに頑張っとるんで、そのあたりは自分だけのためとは言うてもなかなかのもんよ。
一般人でそこまでやれたら、まあまあできとる方じゃないんかねぇ。
ただやはりその農業の仕事のクオリティは、既存のもんの集積なんで、それだけの材料があればさもありなんてとこなんよ。
同じ条件でもできん人は多いじゃろうに、そういう意味では健闘しとるね。
肥料や農機具や農薬やタネや苗を買うて使い、セオリー通りにやる。
にわか農業にしては、クオリティ高いって言えるじゃろう。
人格のサイテーさはともあれ、追い詰められて必死に努力してそれなりに考えながらやりよるいうことがようわかる。
幼児期に虐待されて、それを越えてきた者特有のそうした力はあるのう。
同じく虐待を越えてきた者として焼きが入っており、そこらへんは認めるところなんよね。
ただし、その虐待その他で心が鬼になっとるんであれば、全く意味がないはない。
まあ、焼きの入った我欲の強い悪人なんよね。
独創性がないことからすれば、限界近くまで頑張ったって言えるじゃろう。
ただ、私とはコンセプトが違うのう。
肥料農機具農薬苗を買わずに、最低限のタネだけ買うて使い回し、さらにあり合わせのもんを使うて、ほぼほぼ無に近いとこから何かを生み出すのが私なんよね。
やつの場合には、人間の食生活にはこういう野菜があって、それを作るいうスタンス。
ナス、トマト、スイカ、メロン、他にもこういうもんいう対象がある。
しかし、私はそもそもナスならナスそれ自体が必ずしも作るべきなんか?って考える。
今食卓にあるもんも、機械による大量生産で安くできるもんは、個人がやった場合にはめちゃくちゃ手間がかかる場合もあるんよね。
量として確保するには、農薬や手間がやたらかかるもんとかもあるじゃろう。
そうしたもんは、そもそも作る意味があるんか?って思うんよ。
限りなくメンテナンスが最低限で済み、なおかつボリュームやクオリティがあるもんがあれば、特に今の食卓にないもんでもええんよ。
線虫を殺しまくるために農薬を大量に投入して作るジャガイモと、砂浜に海水撒いて作るだけのサツマイモ、同じボリュームならどうかってとこなんよ。
どんだけ世話しても一定量しかとれん大豆と、灰や水をやればやっただけバカみたいにとれる緑豆ならどうかとかね。
同じイモならイモ、豆なら豆で比べて今食べとるもんでも、必ずしもそれでなければダメいうもんでなければメンテナンスがかからん方がええって考えるんよね。
それでその代用のもんがそこそこのクオリティがあれば、それで充分じゃろ。
豆にしても、別に栽培せんでもヤブツルアズキみたいに野生で美味いもんがありゃあ、それで充分じゃろう。
だいいち栽培だけで食材全部賄うことなんか、まずできんのよ。
栽培と野生の組み合わせで、おそらく私は食糧ストップしても生き残るじゃろう。
最低限飢えることがなけりゃええんであって、ヤブツルアズキや女貞子、野生大根、カラスノエンドウなんかをつないでやり過ごせば、味なんかはともかくやっていけるんよ。
季節の野生のもんを覚えといて、それらを組み合わすことでやっていける。
さらに画期的な新しいやり方で、商品価値のあるもんを作る方法を確立してレパートリーを増やす。
そうした量とクオリティの効率化をやっていけば、材料なんか買わんでもかなりのことができるんよ。
n崎自業自得の一家離散からの農業は、それなりに一般人のにわか農業にしては大したもんなんよね。
材料さえ揃えばとか言う人もおるじゃろうけど、揃うてもできん人にはできんのよ。
方法教えても、できん人にはできんのよ。
独創性の有無で言えば、そこに独創性を加えることで新たな視点が生まれる。
私のコンセプト、ほとんど無に近い状況からの新規の農業確立から考えると、今ある食材必ずしも絶対いうわけでもないことがわかる。
n崎自体は悪人ながら、努力して状況を打開しようとして為した仕事としての農業のクオリティは、そこそこ高い。
人格のサイテーさは置いといて、そういうサイテー野郎の技でも指標参考になるもんはあるんで、善悪と能力は別々に考えにゃいけんのよ。
もともとやつの作るようなコンセプトを持たん私が、やつのやり方でその通りすぐできるか言うとできん。
芸術家指数が大幅にやつを上回っとるにしても、やつの得意の塗装関係ではまず勝てん。
そういうことなんよ。
逆にトータルの能力形成で言うたら、やつなんぞ私のつま先にも及ばんのよ。
いくら目先の能力があっても、一家全員に怨みを買うてこれまでのこと全部ブチ壊しにされるような生き方は、人としてサイテー野郎なんよね。
共通点の多いうちの父も、似たような末路。
最終的に、心の障りは身を滅ぼすんよね。