映画空海で、空海が言うた私の密教は生きているいう言葉、それはカルト教団K初期理念にも言える。
この生きとるいうことの意味は、生き証人いうことなんよ。
カルト教団Kに関しては堕落前も顕教であり、字面その通り追って行けばええんよね。
特に堕落した後はまさに死んだ理論であり、ほとんど役に立たんようになった。
停滞期の後の転落期には、有害にすらなった。
初期のカルト教団Kは、教祖が生きた理論を目白押しに出しとったことで、発足から急成長まではすごかった。
その様子自体は、やはり文章では細部まで表現できんのよ。
それを理解するには、その生き証人から直に話を聞くことが一番であり、その雰囲気をかすった程度しか知らん私では限界があるんよね。
教団発足時、私はまだ学生であり本格的に本を読み始めたのは大学の後半でした。
発足当時を知る知り合いのTさんが生き証人であり、姫路移転後すぐに会いに行って話を聞きました。
そういえばそんなこともあったとか、そういうふわふわした記憶の断片が、生き証人の証言で過去の事実として認識確立されていく。
そういう意味でのあれだったか、そういう経緯でそうなったか、Tさんご自身気づいたのはそれでか、私もTさんも危うく難を逃れていたか。
まあそんなこんながいろいろあって、そもそもがどういう意図で起きた動きなのかが改めてわかった。
当時の雰囲気を知っており、なおかつ生き証人から直接聞いたことにより、私の中では生き証人に準ずる程度にまで腑に落ちた。
前やんも聞きに行ったものの、あの当時の雰囲気は知らんのよ。
そういう意味では、多少限界がある。
ただ、Tさん亡き後はやはり生き証人に準じた語り部になる。
惜しかったのが亡くなったぽんたで、彼も無理をすれば生前にTさんに会えた可能性はあった。
ぽんたが教団活動したのは90年代中盤以降で、長い停滞期の初期で教祖は堕落した後じゃった。
ぽんたが聞いたとして、やはり前やん同様発足当時の雰囲気はわからんけえ、似たり寄ったりかのう。
ただ、内情を知っとるんでより理解したとは思う。
しかし、会えず終いじゃったぽんたより、会うて話を聞いた前やんの方が当然わかっとるんよね。
前やんはぽんたよりもさらに歳下なんで、その年齢的なハンデはかなりあり、後追いで追うしかない。
どんな人にも限界はあるんじゃけど、そのベストを尽くしていけば、それなりになる。
ガキの頃から祖父母の世代の人たちの中で重要な場面に立ち会うた人の証言を聞きまくっとったことは、私としては財産になっとるんよね。
彼らが物心ついた時期は昭和の初め頃、その頃の情勢がおぼろげながらなんとなくわかる。
彼らも明治時代の親の世代の証言を聞いてもおるんで、そんなのもちらほら。
生き証人も、永遠には生きられん。
生きとるうちに、生きた話を聞くことこそが、その真実に迫る上で大事なことなんよ。
カルト教団発足当時を知る者は、教祖長男ではなく当時おった人らなんよ。
物心ついて生きとった人は、たとえ教団に関係なかったとしても、その時代の雰囲気はわかる。
それを踏まえた上でなら、若い世代よりも理解は深いじゃろう。
なるべく多くの人に、Tさんの証言を聞いてもらいたいって思うんよね。
特に教団関係者ね。