今のカルト教団Kは、間違いなく邪教です。
しかし、発足当時は正しかったんよ。
本来なら今頃は救世運動が進み、団体もそれなりに大きくなっとったはずなんよ。
教祖が堕落して不純物が多くなり、今や真っ黒け。
今のひどさから考えて、最初っからおかしかったんじゃって言いたくもなる。
しかし、そういうわけでもない。
初期にあれだけ人を惹きつけた事実は、そこに画期的な素晴らしいもんがあったことを示しとる。
そして、本の波動もそれを証明しとる。
本のオーリング自体が一応の合格になるのは、2007年ぐらいまでなんじゃけど、障り自体は1989年ごろにはかぶっとった。
結婚してからがヤバいんよ。
途中から教義がコロコロ変わり、G団体まで否定。
その影響からか、旧友はそちらも否定しよる。
ベータ星のことまで否定しよる。
その結果、消去法でたどり着いたのがアセンションいうわけなんじゃけど、全否定になった人らの行き着く果ての一つにそういう思考形態があるいうことなんよね。
しかし、おかしくなってからのカルト教団Kの本より波動が悪いってどういうことよ。
まあやはり、ここまでは正しいんじゃけど、ここからがおかしいいう区分をハッキリつけんことにはダメなんよね。
波動がわからん旧友からは、私がカルト教団KやG団体に洗脳されとると見る。
しかし真実は、字面で自己洗脳して波動で真逆なもんを、旧友は一縷の望みを持って信じとるいうことなんよ。
宗教的真実いうもんは、必ずある。
カルト教団Kを否定することで、それまで否定してしもうては、それも我流の邪論なんよ。
カルト教団Kのめちゃくちゃな教義変更は、何を信じたらええかわからんようにさせるいう意味において、大きな効果を発揮したと言えよう。
旧友が、好きで転落を選ぶなら、私はもう追うまい。
悪の否定イコール、必ずしも善ではないんよ。