ここのところ、ちょっとこの時代の正法の理念継承に関して考えるようになった。
8つ歳下の前やんなんかは、まさかの理念継承。
他にも若い世代に、継承できなくはないのかなって思うようになった。
やはりたくさんカルト教団Kに参入するような年齢は私より3つぐらい下までで、それより若い人で自分から入って活動した人はかなり少ない。
また邪教化もしたし、そうした若い人が正しく正法の理念を持ったとは思えない。
もともとの私は、半端にその理念を持っとった。
しかし、長いこと教祖が本格的に動くのを待つ、待ちの姿勢じゃった。
ブログの読者から教祖の前妻が教祖堕落の原因とか言われて、その時は前妻が絶賛されとったんでさっぱり意味がわからんかった。
しかしその追い出し劇から、その読者の言葉通りとわかった。
初期に支部長をやっとったその人に会うて、改めて事情を聞いてその理念を継承した。
それを聞きつけた前やんは、かなり関係も遠いとこを無理矢理福知山から山口まで会いに行き、教団とは関係ないのに理念を継承してしもうた。
九州のTさんも7つ下ながら、似たような挙動を見せつつある。
それから数年ぶりに連絡が再開した前の職場の知り合いが、意外なことにG団体のT会長の動画を勧めたら見たらしく、関心を持ち始めた。
ここは救世運動の露払いじゃけえ、こういうのに親和性があったいうことは、その理念を継承する可能性がある。
この人はもう23歳下なんで、救世運動世代からははるか彼方にある。
時空を隔てられとったもんを継承したとなると、ある意味奇跡に近い。
なぜかあの時連絡が取れんようになり、しばらくぶりにメールしたら返信があったんで会話再開。
会うとった時には何か焦りのようなもんがあり、変じゃったんよね。
ようやく、マトモに話ができるような感じなんよ。
コロナのワクチンも打っとらんし、そういう意味でも命運は尽きとらんかったって感じなんよね。
あんまりやり取りができとらんかったんで、改めていろいろ聞いとるんじゃけど、時間が経ったことでようやくお互いが理解できるかもしれんね。
今、修行者としての意識の人が、世代間によってどんな違いがあるかについて知りたいんよね。
少し前に救世運動参加理念のことで大打撃を受けたばかりで、他にも違う理念を持って生まれた人が何を目指すかに関心が出てきた。
久々のその知り合いはやはり何か持っとるらしく、そのテーマが何かを知ることで、またそういう方面の研究が進むじゃろう。
平成初期に彼女が生まれる前に見とった世界には、どんなもんがあったんじゃろうか?
カルト教団Kは既に教祖が堕落済みで、救世運動はもうない。
その時点での希望とは、一体何があったんじゃろか?
さらにその人よりも10歳若い平成二桁生まれの人が九州で出てきたんじゃけど、その人になると宗教的な意味合いはほとんど希薄になっとった。
ただ今回の人の場合には、救世運動や正法に関する親和性があるとすると、まだ平成初期の段階ではそういうもんで頑張るいう意図があったことになる。
平成初期の時点でも、もう時代遅れになっとるような感じで、時代の流れがかなり急になっとる。
ただいろんな人のそうしたサンプルを集めることで、世代ごとの修行課題いうか修行目標が見えてくるような感じがしてならんのよ。
救世運動参加理念真っ盛りの頃の私らと、それがダメになることがわかり始めた昭和40年代後半の人ら、さらに漂流の世代の昭和50年代後半以降昭和終わりまでの人ら、平成になって集団としての目標でなく個人の個別の目的のために出た世代、意識はそれぞれ違う。
平成は停滞の時代ながら、その年代ごとにそれぞれ違うグラデーションのような違いがあるじゃろう。
何とも言えんのじゃけど、リアルタイムとは時空を隔てた人のいくたりかが、救世運動正法の理念継承となると、それがまた次の仕事を生み出すかもしれん。
ともあれ、いろいろサンプルを集めてみようか。