カルト教団Kが発足した時、それはすばらしい救世運動の団体じゃったんよね。
新鮮な内容目白押しで、感動もそれなりにすごかったんよね。
教団が大きく動き出す前に金沢の山奥で身動きとれず、教団を教えてくれた同級生Sの東京からの電話に対して、忸怩たる思いやら羨望の気持ちやらが混ぜこぜになって悔しくて仕方なかった。
それで長期休暇で東京で再会した時に支部に案内され、そこで同年代の人たちが生き生きと活動しとった。
あの当時の二十代以上の人たち、特に三十代四十代の人が中心になっとった。
思えばその年代の人らは、救世運動を頑張るために生まれる前に決意して出てきた高級霊の姿でもあったんよね。
教団の足場固めをするために、昭和の終わりから平成初めにかけて大人として活動できる世代に生まれ変わってきとったんよね。
しかし、その人らの大部分がその後メチャクチャな布教活したり教団職員になったりして、人生が狂うてしまうことになる。
先ほどの同級生Sの周りには、それこそキラ星のような優秀なやつらが大勢おった。
早稲田の二部へ行っとったそのSもさることながら、東京の一流大学へ通うとる人がズラッとおって、優秀な人らの集団いうのが雰囲気でも伝わって来よるんよね。
あの人たち、救世運動で活躍して霊格向上や光の増幅を狙うて出て来た人らなんよね。
また一流企業でええポジションの人らが、その地位を投げ打って教団職員になったりもしとった。
やがて、プレゼント伝道とかいうわけわからん自腹を切りまくりながらの月刊誌送りつけを、名簿を使いながら知り合いにやりまくることになった。
その異様な状況にこれは変だぞって思いながら、状況を静観するようにした。
同級生Sからも活動依頼とかされたものの、こんなやり方が長くは続かんし破綻する言うて拒否した。
彼はそのまま活動し、その結果留年してしもうた。
結局そのお金は、私が貸してやる羽目になった。
その当時おった優秀な人らは、そういう無意味かつ無責任な活動をやり過ぎ、ある者は借金を抱えある者は大学を中退したりした。
おりしも、バブルもしくはそれがはじけた時期になる。
当時はフリーターが天下を取るとか言われとった時期でもあり、大学辞めてもフリーターでなんとかなるとか言われとった。
そんとな状況に踊らされて、大学を辞め会社を辞めしていった人らが、それなりに結構おった。
教祖はかなり早い時期に堕落しており、その影響で教団の停滞は長かった。
やがて馬脚を表し、教祖のスキャンダルが公然と知れ渡り、その邪教化したことを知ることになる。
正しかるべきもんに出会いそこに尽くしたはずが、結果的に邪教化して教祖が欲望のために動くようになっており、自分たちの時間やお金や労力がその贅沢のために使われとったことを知る。
その善悪の混乱と絶望感と徒労感、今後に残された人生を思う時、心は打ちひしがれ大きく荒んで病んでしまいよるね。
最終的にはその本人の責任いうことになるんで、そのあたりの理不尽さ。
しかしその現実を突きつけられた時に、それは逃れようがない。
天上界の、杜撰な計画の責任じゃないんかい!
責任者誰じゃ、出てこい!
あ〜あ〜あの当時の人ら、教団がなくてそのまま伸びて行った先には、相応の輝きがあったじゃろう。
相応の出世や、それによる豊かさもあったじゃろう。
もともと高級霊であったとして、しかし元おった世界には帰れまい。
そうした救世運動失敗に巻き込まれる被害、それによって失われた優秀な人たちの人生は、とてつもなくデカかったんよね。
あの当時の人たちのその後を思う時、限りない悲しみと怒りが湧いてくる。
みんなで正しい方向に頑張るはずが、神も仏もないような有り様。
あの当時の教団の言うことを、真に受けてその通り活動せんでよかった。
運命を分けたあの時のことを考えると、未だにゾッとするんよ。