六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

転生経験の密度は、ひと昔前の日本がかなり大きかった。それにより、善にも悪にも大幅にジャンプアップすることになった。言わば、賭けに近い部分があった。

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ひと昔前の日本は、一回あたりの転生経験密度がかなり大きかった。

ひと昔前とは、昭和10年代から昭和50年代前半まで生まれの人ら。

戦争からの復興で、目まぐるしく環境の変わる中、進化する材料が豊富にあった。

さらに失敗したとはいえ、救世主による精神革命が起きかけたことで、これまで知り得ることがなかった天上界の機密事項が部分的に明かされた。

同じ時代の欧米では、もともとがそんなにひどい状況でもなかった関係で、日本に比べて経験値はそれほどでもなかった。

この経験値を得ようと、たくさんの人が生まれ変わりを希望し、その先触れとなったのが団塊の世代じゃった。

しかし、団塊の世代は別の意味での弊害も生むことになった。

それはともあれ、戦前戦後から高度経済成長そしてバブル、この時代を満喫できた人は、それ以前の時代や他の地域では経験できんような経験をした。

能力のアップいうことからすると、例えば江戸時代の有名人と比べても、現在のかなり知識があるとまでは言えん人の方が、情報量は多かったりする。

救世主が転落せんかったら、精神的な面も相当ええ感じになったんじゃなかろうか。

真面目に努力すれば、簡単に能力の高い阿羅漢や菩薩ぐらいにはなれる、そういう感じじゃったろう。

しかし逆を言えば、その能力のジャンプアップが悪の方向に向いたなら、それもそれでまたかなりのもんになることを意味した。

精神的な基準を打ち立てるべきところがカルトになり、相対的に悪の力が強くなった。

善なる方向で、その能力を高めようと生まれてきたはずが、そうでもなくなってしもうた。

昭和50年代後半から終わり頃までの生まれの人は、人工妊娠中絶の累積による混乱の言わば漂流期であり、それも織り込んで安定してきた平成生まれは、ある意味違うもんを目指して生まれてきたと言える。

今の時代は、これまでの環境が作り出した複雑化した悪も存在し、それが先日書いたような精神疾患逆バージョンのような病みを生み出しとる。

結論としては、高度化複雑化した悪と高度化複雑化した善とのせめぎ合いになっとるんよ。

生まれ合わせた人には、善なる方向に高度化するチャンスもあれば、悪の方向にとてつもなく転落する危険も孕んどるんよ。

そこをかいくぐって、善を失わず真実を知り得た者は幸いと言える。

どんな時代でも、全てがよくなるわけでもない代わりに、全てがダメになるわけでもない。

かわいそうなのは、カルト教団Kの救世運動に巻き込まれて抜け出せんようになった人らなんよ。

本来の能力も削ぎ落とされ、教祖の狂気に人生を破壊されとる。

ともあれ、高度化した悪の被害を受けず、できればそこに一矢報いタタキ潰すことまでできれば幸いなんよ。

この時代の修行者には、そうした心構えも必要なんよ。