20年ぶりに話をした旧友、私の理論に賛同して電話してきたかと思いきや、そうでもなかった。
独自の理論に染まっとった。
勧められた本を取り寄せて読んでみたものの、障りがデカくて内容も具体性がない。
著者を指導するのが、銀河にまたがる大霊団とかいうとるんよ。
私の理論の中には、魂の民族判定があるんじゃけど、その区分はカルト教団Kの呼称を踏襲しとる。
彼が言うには、その呼称を使うとることは、カルト教団Kの亜流と見られても仕方ないとか。
あと、民族判定すること自体が悪の思いを発生させるとか。
亜流と見られても仕方ないいうのは、一理ある。
それは、いずれ改善せにゃいけんことはその通りと思うた。
しかし、カルト教団Kの区分では足りずに、かなり付け加えたことも事実。
そんで、民族判定は人間関係のトラブルを回避する意味で必要不可欠なんよ。
それは否定しちゃならまあ。
そんで、カルト教団Kの説いた霊団の話は子供騙しとか言うて、銀河規模の大霊団が控えとる人がおるとか。
そんで、その本も読んでみた。
しかし、波動を高めようとか気持ちをポジティブに今と未来を生きようとかで、具体性がない。
何より、波動を高めようとか言うとるわりに波動はメタメタで、障りがあるんよ。
そんとな銀河規模のすげえ霊団なら、なんで障りがあるんじゃ?
カルト教団Kの説いた霊団のことも、パクリとか嘘っぱちとか言うとる。
カルト教団Kも、その前のG団体も、霊団の名称は神智学系統からパクったいうのはあるじゃろう。
ていうか、それが本当にあるもんならパクリとは言わんのよ。
例えば、数学なら数学をやったとして、先生や生徒が数学をパクったとは言わんのよ。
カルト教団Kの教祖も最初はマトモじゃったし、その前のG団体もオーリング判定は合格です。
障りのない状態で、理論を段階的に説いたって言えるじゃろう。
しかし、カルト教団Kの教祖がエロ堕落してしもうて、途中で説明が途切れて、それを私が補足した形になった。
旧友の言う銀河にまたがる大霊団の区分とか指導内容に、私の言う具体性があるか?
ない。
さらに彼は、気とかエネルギーとか言うとる私の理論を否定する。
え?何それ?
わけわからん。
私は再会して、いろいろ実演して見せてとか思うとった。
彼からは私がファンタジーの世界におって、天狗に見えるらしい。
お互い平行線じゃのう。
気やエネルギーの概念がないけえ、障りがわからん彼。
なるほどオーリング判定なしで、字面だけで判断するとそうなるんかいうのがわかった。
あと致命的なのが、××神示を信奉しとること。
これは精神異常周波数がデカい。
彼の終末論には、それと銀河規模の霊団とやらと、聖書の黙示録が背景にあるらしい。
私の場合は、波動でおかしくないものをつなげていって、そうするとこうなるいう感じで考えてきた。
エロ堕落する前のカルト教団Kの教祖は、人間的な欠陥もあったものの、概ね心に関係するええ内容を説いとった。
神智学からパクリがあったとはいえ、それが正しいならそれでええんじゃないんかねぇ?
堕落前の教祖の指導霊がそう動かしたなら、それ相応の理由があったはずなんよ。
現実に私の言う魂の民族の分類教えた人らからは、異口同音になんでもっと早く教えてくれんかったんて言われとるんよ。
オルゴンMとか、みんな喜んどるよ。
まあ呼び方ね、まあそこら。
エル・ランティをサナートクメラって言うべきか、モーゼをモリヤって言うべきかいう感じのこと。
そこらへん考えにゃいけんのよ。
彼はアセンションして別の天体に行くとか言うとるんじゃけど、それがなかったらどうするんかねぇ?
そんとな都合のええことはないと思うし、基本は地球で転生してきてこれからもいう感じで考えた方が自然じゃろう。
地球で暮らすにあたり、いろんな宇宙移民が増えており、それらの中には明らかにおかしなのもおる。
私の役目は、そういうことをできる限り解明して、環境の中から障りを減らすことなんよ。
ともあれ、彼の信奉しとる銀河霊団がすごかったとして、指導を降ろしとる人らに障りがある。
私を見たら、あそこに障りを消せる人がおるけえ、その方法教わって来いって言うんじゃないんかねぇ。
あるいは、障りを消せる指導をするとか。
それができとらんいうことからすると、時期を待っとるか、大した霊団でもないいうことになる。
障りの概念のない者からすると、私の言うとることは極めて独善的に見えるじゃろう。
それから、旧友は今糾弾しとるカルト教団Kへの批判をするなって言うとる。
同じ土俵でやり合えば、例え善でも同じカルマを食らうとか。
え?食らわんじゃろう。
逆に悪を見逃せば、その方が運命狂うわ。
悪を攻撃できる能力と立場があって、それをやらんのはそれこそ悪なんよ。
独自の変なカルマ理論じゃのう。
やはり、何というか、理論の袋小路に入っとる感じよね。
この文書にはこう書いてあると。
ある意味、信者を持たない個人宗教じゃ。
彼には学歴がない分、自由な発想がある。
フリーハンドの我流なんよ。
しかし欠点もあって、自分が不得手な分野に関しては、あ〜もういいよって投げてしまいよるんよね。
変に警戒心が強いわりに、結構どうでもええようなところがある。
お手上げの分野に関しては、話にならんのよ。
彼の概念にはなくても現実にあるもんはあり、そういうことからすると、世界観は偏っとるんよね。
フリーハンドの限界ってとこか。
客観的に見て、47でぷー太郎で茨城におるんで、ほぼほぼ使命は終わりつつあるのう。
このままおっても、もう変わらんね。
被曝した邪気もあることから、運命に変化がなくなるとあの世に引き上げになってしまうじゃろう。
彼の存在意義があるとすれば、私の近くにおって何かしゃべっとればええんじゃ。
そのままでは使えないものの、アレンジすればええもん持っとるよ。
それが無ければ、何にもならん。
中途半端な状態で47年、俺にはできん生き方。
私は、障りのある者と歩調を合わせることはしない。
今回のことでは、20年ぶりにその考え方とかを知ることができた。
イメージトレーニングで、これぐらいのことは言うじゃろういう想定もできるようになった。
発想の幅を広げることができたと思う。
旧友よ、残念じゃけどわかってもらえんかったのう。
あの世に帰ったら、私の言うたことの意味がわかる時が来るじゃろう。
早く理論の袋小路から抜けてほしい。