魂の民族が理解できると、肉親と言えども必ずしも安住の地ではないことがわかるんよね。
特に私の場合は、毒親とそれに追随する肉親の攻撃が長期にわたって続きました。
今、時間を遡って一番ひどかった頃の肉親の連合体と対峙しても、おそらく勝ち目はないじゃろう。
攻撃に耐えながら、できることをやっていったんよ。
その状態に近いものがあるとすれば、関ヶ原の戦いにおける島津の退き方に近いかのう。
西軍に少人数で参加した島津は、西軍壊滅で袋のネズミ。
最後家康の本陣に突っ込み、捨てがまり戦法を駆使して総大将を守りきった。
その経緯も、追手にかなりの損害を与えながらのもんであり、捨てがまりで犠牲になった将兵の動き一つ一つがなければなし得なかった。
その名もなき将兵の鉄砲が、井伊直政と松平忠吉を負傷させ、本田忠勝の馬を殺した。
私の場合も、私を安全な場所に導くために働いた力は、巻き添えになった周囲の者を犠牲にしながら、辛くも私を守りきった。
かなりの激戦じゃったことからすると、悪人が少なからずおったいうことと、個性も似た人から遠い人までいろいろおった。
善人悪人いろいろおって、単に肉親いうだけで結束しとった。
父や父方の継祖母が元凶となって周囲が狂わされたんじゃけど、保身が強い者は父の側について私とは気まずくなり、私を庇おうとした者も立場が悪くなり、そんなこんなの連鎖ですごく雰囲気が悪くなった。
逆に他人の方が心が近い人がおって、血縁それ自体はあんまり重要ではなかったのう。
地元の人には悪人が結構おり、悪人か田舎っぺばかりじゃった。
一族を牛耳る人が善人なら、多少の悪人がおっても抑え込めるんじゃけど、悪人の場合にはみんなして苦しむことになるのう。
善人同士であっても、心の傾向性が違うと平和ながらつまらない。
やはり、善人同士で心の近い者同士での肉親が一番幸せじゃろうね。
肉親同士も、やがてバラバラになっていく。
そういう意味でも肉親は社会の縮図であり、私にとってはそこで繰り広げられた戦いが、悪との戦いの原点になったように思う。