選挙で大幅に票数を減らした、カルト教団K。
選挙で勝てない党が、選挙学入門とかいう本を出した。
そんなん、よう恥ずかしくもなく出せる。
そこだけは、逆にすごいと思う。
読む前に、盲信者に学びになったか聞いてみた。
教祖と息子の対談本、格下げになった息子の復活が嬉しいとかいう返事。
いや違うじゃろう、学びになったか聞いとんのや。
とりあえず、立ち読みしてきた。
私が感じたのは、単なるダベリ本で入門書にもなっとらんし、勿論学びになどならない。
読んだ上で、もう一度聞いてみた。
結局、学びにならんいう回答。
最初から、そう言えや!
スキャンダルに関してツッコミ入れると、釈迦もキリストもスキャンダルはあったとか言う。
しかし、私は教祖のだらしなく淫らで腐ったスキャンダルはなかったと思う。
偉人のスキャンダルと比べるあたり、そもそも失礼じゃと思う。
盲信者曰く、スキャンダルにとらわれてこの法が学べんようになるのは避けたいとか。
学びになっとらんもんの、どこが学びなんじゃろか?
矛盾もええとこじゃ。
単なるスピリチュアルな本として、とらえない方がええとか言う。
たしかに単なるスピリチュアルな本とは違うんじゃけど、その巷に溢れるスピリチュアルの本の方がまだ内容があるんよね。
紙とインクとお金のムダ、駄本と呼ぶにも値しない。
そんとなもんを、救世主じゃけえ言うて信じとる。
まさに、頭はついとるかいう教祖の言葉通りなんよ。
盲信者に盲信しとる自覚はない。
真面目に頑張っとるだけなんよ。
ある意味恐ろしい。
現在の盲信者の心理は、偉大な救世主の時代いう希有な時に、肉体由来のスキャンダルで見限るのはもったいないいうことなんよ。
おかしなことがあっても、救世主から学ぶ機会を失いたくないいうことなんよね。
そのおかしなことに関して、常識的に考えてダメと思えるとこまでダメと思わんところがおかしいんよ。
おかしさの基準のハードルが低過ぎるんよね。
盲信者も、教祖をおかしいと思うとる。
しかし、救世主ゆえに多少のおかしさは許容できて、その範囲が広いいうことなんよ。
おそらく教祖の命令で罪をかぶれ言われたら、間違いなくかぶるじゃろう。
オウムの死刑囚の犯行前の心理と同じなんよ。
ここで最良の薬になるのが、教祖自身の死なんよ。
先生がいらっしゃるからとか言うとれるのも、今のうちなんよ。
死んでみて初めて、うわ〜何もせんかったじゃないかいうのがわかる。
そういう意味でも、早めに死んでほしいんよね。
生きとる限り、運命を狂わされる盲信者がまだおるけえのう。
つくづく罪作りな教祖なんよね。