私の人生で、過去地獄を何回か味わった。
その中で一番苦しかった時期が幼少期であり、中学の時はそれに次ぐ。
物心ついた後いうことからすれば、あの時期の地獄もすごかったし、今からあの状況をやり直したとして解決策が見出せんのよ。
イジメと落ちこぼれと家庭虐待、それらを打開しようともがくほどドツボにハマって、ええ加減死にたかった。
ただその時に始めたことで、その後の人生を大きく変えてくれたことがある。
それは、忘れんように覚えていくことじゃった。
落ちこぼれて勉強ができんけえ、覚える速度が同じなら忘れんようにして、その集積があればいつかなんとかなるって思うた。
今、多彩な外国語を書き殴りで勉強しとる。
その原型になったようなことは、その頃が最初なんよ。
そんでそのきっかけともなったのが、広中平祐氏が講演に来て話したことなんよ。
かれこれ40年近く前じゃけえ、本人は忘れとるかもしれん。
しかしその頃の私は、彼のその発言によってある意味人生がええ方向に変わった。
何を言うたかいうと、外見や体裁を気にするないうことなんよ。
例えば、勉強したりすることで一生懸命になると、その姿は時としてカッコ悪くみっともないように周囲から見えることがある。
電車の中や道端歩きながら何かを勉強したりしとると、それが奇異に見えて女子高生とかがクスクス笑うてあの人おかしいねとかヒソヒソ。
たいていの人はそれが恥ずかしいし、じゃけえやらない。
軽く読む程度とかにする。
しかし、軽く読んで覚えられることって限界があるんよ。
本気で何かを勉強して覚えようとしたら、あるいはヒゲを剃り忘れたり、座席で体をよじった時にワイシャツがはみ出たり、途中で疲れて寝てしまいヨダレとかたらしとることもあったりなかったり。
そんとな女子高生なんかが笑うようなことを気にしとったら、何もできんてね。
そんで、その女子高生に笑われることのデメリットに関して考えてみろと。
笑われたところで、痛くも痒くもないと。
うん、そうじゃ、その通りじゃ。
多少カッコ悪い思いしたとして、それがなんだと。
そんとなことを気にして、勉強が疎かになって実力が身につかんことの損失の方がデカいと。
まあそんな感じのことを述べた。
あの頃を考えると、何をしても上手くいかん。
しかし、何もせんより何か状況を改善するようなことをしといた方がええ。
しのごの言うとる場合でもないし、カッコを気にしとる状況でもない。
ここは、実力の向上にまくった方が得策と判断した。
もともとカッコを気にする私でもなかったんじゃけど、一般人が持つ羞恥心を取っ払うことで、開けた世界があった。
速読をやっとった時にはカバンにたくさんの本を抱えて、乗り換えの時にしまうのが邪魔で本をくわえて移動したりもしとったね。
本に噛みついてコワイ顔して小走りする異形を見たら、そらヒクわ。
歩きながら書き殴る姿も異形であり、何やっとんじゃろかって思われるじゃろう。
そんなの気にして、あるいはいちいち説明しとったら、勉強にならんのじゃ。
旅先での恥はかき捨てじゃ。
私を不審に思うたその相手とて、二度と会うこともない。
まあ勉強のために恥をかくんであれば、名誉の負傷なんよ。
そういう意味で、広中平祐先生はドン底の頃の私を救うきっかけを与えてくれた。
かつて講演を聞いたうちの一人が、そんとなことになっとるとは思うてもあらんじゃろうし、それはそれでええんよ。
もし会うことができたら、そのことを話し御礼を言いたい。
生きとるうちに会えずとも、あの世では必ず訪ねていき、語らいたいと思うんよ。
物事を突き詰める姿勢、学ぶ姿勢を教えて下さり誠にありがとうございました。
私を取り巻く地獄の業火もいつしか消え、個人的には充実しております。
自己発揮しつつ助けられる善人は助け、改心できん悪人はシゴウします。
その原点にもなった広中平祐先生の発言は、私を通してさらに他の人たちをも救うたことになります。
居眠りせずに聞いといて、本当によかったです。
あれきりお話を聞くことはなかったんじゃけど、久々に聞いてみたい感じがするのう。