教祖急逝から一周年いうことで、救世運動失敗に関してまたちょっと調べたことを述べてみます。
霊界からは、通常2〜30年先ぐらいのことがわかるんよね。
それで教祖が前妻と結婚して堕落するのがわかったのが、だいたい昭和48年頃なんよね。
G団体は動いており、現在進行形で動いとるもんは止められんのよね。
それで使命を持った人らも送り出された後じゃけえ、戻すわけにもいかん。
それでどうするか、可能な限り調整してそれでダメになる部分はしゃ〜ないと。
いやいやいや、それにしたって犠牲者多過ぎじゃろう。
生まれ変わりは、ゲームじゃないんよ。
それで、高級霊の生まれるのも凍結。
既に送り出された人たちのケアは、為されないまま放置されることになった。
それで、結局のところ地上に出た人たちの守護霊に、その本人を調整するように指示が出て、そのまま丸投げ。
私の生命体は謀略家じゃけえ、眷属として出た人らの調整を行った。
ダメになる人は、もうこの際どうもならん。
それはそれで諦めて、最善を尽くすしかない。
それでどこかで救世運動失敗に気づいて、東京から今おる姫路へ逃げることも計画修正した。
その方針が大筋で決まったのが、昭和55年なんよ。
結局その頃までに関係者の調整をだいぶやって、その路線で進むことに。
カルト教団Kに出会うための導火線もその通りに配置して、被害も最小限にして回避。
大事な部分だけ会得して、教団の被害者になるべく救済になるようなことができるようにしておくと。
昭和55年いうたら、いつぐらいかのう?
中学上がった頃か。
私が小学校時代に、守護霊サイドではかなり苦労しとったいうことか。
小学校時代いうたらどんなかのう。
マンツーマンでぶん殴られながらの、両親からの勉強の虐待があって、アニメとかを参考にしながら実家をどう倒すかを考えとった時期か。
それでイジメに遭うて、有名私立受験して合格したんよね。
そこで、カルト教団Kの導火線となる同級生に出会うことになる。
ともあれ私の思惑とは裏腹に、守護霊サイドでは私の将来の転落を防ぐ意味で相当やきもきしながら策を練っとったんよね。
原発事故の時の西日本への逃避行は、今思い出してもでき過ぎじゃと思うんじゃけど、それもおそらくその頃に計画したことなんよね。
波動強化はその頃のことではなかったにせよ、今回の人生のだいたいの方針とかがだいぶ決まったいうことか。
結局守護霊サイドでの調整が上手くできんかった人らが、その後いろんな意味で人生狂うてダメになったんじゃろうね。
私の場合守護霊の謀略で動かされ、私自身の謀略でその方向性で動いたって言えるんよね。
大きな計画の通りに動いておって、それが急にダメになったとして、おいそれと急には止まれないいうことなんよ。
それで、眷属全員をそこから救うことも難しいんよね。
結局、守護霊の感情が安定した時期が昭和55年じゃけえ、それまでは大変な調整作業で相当心配しとったんじゃろうね。
大きな期待のもとに出た救世運動、失敗と共に置き去りにされた人たちはたまらんよね。
謀略を練って助かったと言うべきか、ともあれ水面下での動きに感謝です。