人にはある程度の楽しみが必要。
楽しみ自体は否定しない。
しかし、私の楽しみは修行における楽しみしかない。
楽しみのための楽しみ、遊びのための楽しみには全く関心がない。
そういう生産性のないもんは虚しいだけで、ムダか浪費にしか見えない。
しかし、そういうもんを好む人が多いのも事実。
それゆえ娯楽産業は成り立ち、それなりににぎわう。
高校の遠足がDランドになり、そんなとこ行ってられるかって思い行かんかった。
わざと遅刻してバス出発後に学校に行き、先生にしぼられながら勉強。
願ったり叶ったりじゃった。
それ以降もくだらない遊びには馴染めず、大学のコンパも全部サボり、先輩と押し問答。
しかし、先輩を根負けさせて我を通した。
私にとって、未来のために今日がある。
豊かな未来のために努力精進する。
今が楽しければええとも思わんし、その楽しみすら楽しみとは思わん。
実力を上げ続ける中にこそ楽しみはあり、悪をタタくことにこそ楽しみはある。
セシウムカルトn崎は、先ほどの娯楽産業Dランドから高い収入を得て、それをひけらかし、周りを見下しとる。
夢いう狂気が支配し、料金もぼったくりじゃと思う。
私なら学生時代のバイトで働くぐらいしか、Dランドには関わる余地が見出だせん。
つまり選ばん。
娯楽産業は、そこにズルズルべったりになった時、退廃と堕落を生む。
ろくでもねぇ。
アリとキリギリスの話はまさにそうしたことじゃ。
アリのような私は、修行して誰も真似できんもんを作った。
キリギリスのn崎は高い収入で20年ぐらい好き勝手やって、セシウムカルトになった。
楽しみのための楽しみを追い、恋愛のための恋愛で周囲の人を苦しめた。
因果応報があるとして、好き勝手な自己発揮の報いが、誰からも信用されん現状を作った。
悪に備えつつ努力精進してこそ、人は集まり精神的な豊かな喜びがあろう。
娯楽産業を全てなくせとは言わないが、弊害が肥大化したもんは要らんのじゃ。
私みたいに娯楽に虚しさを感じる人が増えるほど、娯楽産業は斜陽化するじゃろう。
昨今の、何が起きても不思議じゃない社会に対して、のほほんと遊んでいてええ状況ではないと思う。