六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

一将功成って、万骨枯る。カルト教団Kの有り様は、まさにそれ。有益部分だけを得て能力形成できたことは、奇蹟に近い。運命の分かれ道は、状況を冷静判断できる考える頭。

カルト教団Kの有り様は、一将功成って万骨枯るを見事に体現しとる。

一将とは教祖のみ。

かつて最高レベルの講師の地位まで上り詰めたような人達も、いつの間にかバサバサ切られ、消えていく。

普通なら、上り詰めた者はそれなりにたらい回しされながら、一生食べていけるようなのが宗教団体。

しかし、カルト教団Kは違う。

教祖の判断一つでいつどうなるかわからんけえ、最高レベルの講師でも安心できない。

無事定年を迎えて年金をもらえるまで勤めて、円満に終われた人はほとんどいない。

教祖の妻の地位もしかり。

ほとんど愛人に毛が生えたぐらいのもんでしかない教祖補佐、女として飽きられたら終わり。

前妻との離婚で揉めとる時に、教祖の苗字をもらい次期嫁候補ナンバーワンじゃった人も、教祖と痴話喧嘩の挙句苗字を剥奪されて左遷。

まさかの大穴が、教祖補佐の地位を射止めた。

しかし、そんな不安定な状況での立場は、室町幕府の将軍がくじ引きで選ばれたり家臣に葬られたりするが如く脆弱で、乱世になる前の危うい修羅場になっとる。

実際のところ、将軍個人の資質により大きく左右された室町幕府によう似とる。

教祖個人のカリスマで、ようやく成り立つその状況は、教祖の死去と共に後継者争いになるのは容易に察しがつく。

応仁の乱以降、争いが各地に飛び火し収拾がつかんようになった戦国時代の再来のようなことになろう。

そういう意味では、大河ドラマ花の乱を観ておかれると、その未来がある程度予想できよう。

教祖は、足利義満に見立てることができよう。

信者の多数が、この教祖の個人的な楽しみのために人生を狂わされ、時間やお金や労力を収奪されていった。

アンチになったある人が、お金はともかく時間を返してほしいとか言うとったのを見たことがある。

確かに、それはそうじゃろう。

教祖のために自分の都合を後回しにして頑張る時、平気で10年単位の時間はあっと言う間に過ぎとるいうことがある。

10年単位いうことは、20年かもしれんし30年かもしれんのよ。

宗教にはこうした怖さがある。

例えば20代の人が20年頑張ったとして、50近くになっとるいうこともあるんよ。

それで何の能力もなかったとすれば、そこからのやり直しは筆舌に尽くし難い苛酷なものになろう。

私の場合は、初期の教祖の本に感動しながら組織活動をせず、独自の能力形成に成功した。

なぜそれができたか、それは状況を冷静に見て判断しとったけんね。

次のイベントが成功せんかったら後がない、今が瀬戸際いうことでみんな活動しとったのを見て、毎回瀬戸際のはずが全く瀬戸際でもなく状況は同じ。

無茶苦茶な命令を真に受けて頑張る人ほど、運命を破壊されていく。

ああなるほど、スローガンと組織運営は違うなって判断したその判断が、正しかった。

それで教祖の言うことの中で、誰も否定できん部分だけを抽出し、そこだけ取り組んだ。

知性路線をひた走るため、最低読書千冊。

いつか教祖が世直しのために大きな動きをするのに備えて、時の流れをよそにひたすら頑張って待ち続けた。

しかし、そんな大きな世直しなどできるはずがなかった。

教祖その人が、早いうちに堕落していては。

今の私の能力は、ある意味カルト教団Kの教祖が作ってくれた部分が大きい。

しかし、それは教祖が私個人にためにやってくれたことではない。

独自に判断してすり抜けたけんのう。

こういう運命の分かれ道っていうのは、ままある。

山口市のTさんも、間一髪その分かれ道をすり抜けた。

初期に琵琶湖で行われた研修で、彼は仕事で出席できず難を逃れた。

この研修は感動的だったらしく、出席者ほとんどが出家して教団幹部になり、その後消えていった。

私と彼のこうした間一髪のすり抜けは、その後のことを考えるとゾッとする。

活動した者もひどいんじゃけど、出家したらもっとひどい。

宗教でしか生きていけんようにされた人は、間違いに気づいても抜けれんようになっとることが多くなっとるんよ。