なんか気が向いたんで、芸術面のことをとりとめもなく書いてみましょう。
小学校の頃、最初の通信簿をもろうた私は、その内容を見て愕然とした。
なんとオール3。
5段階評価でなんじゃけど、全部3じゃったんよ。
しかしどういうわけか、音楽だけが5じゃったんよ。
先生が言うには、歌が上手いとか。
そうかのう?
普通に歌うとるんじゃけどね。
聞いたもんを、その通り音程を間違わずに歌うとるだけなんよ。
しかし、うちでは弟2人がマンガの歌を間違うた音程で歌うとる。
お前らバカじゃないんか?
こういうメロディじゃろうがって、何度教えても直らない。
間違うた音程で歌われると、気持ち悪くて仕方がない。
うるさいけえ、歌うな言うたんじゃけど、そんでも一生懸命歌いよる。
そんで、弟らの通信簿では、やはり音楽は3とか。
あんな下手くそで3、普通に歌うと5なんかって思うた。
それから、小学校二年生の時にハーモニカの課題曲があって、20曲を先生の前で演奏して、ちゃんとひけたか認定してもらういうもんがあった。
1人づつプリントをもらい、1~20番まで書いてあり、それを壁に貼らされた。
休み時間とかに先生をつかまえて、何番をひくか言うて演奏するんよ。
なんであんなことやらせたんかのう?
まあそんでも、それを全部ひくんじゃって思いながら練習した。
結果的に、19曲認定された。
この演奏認定は、なぜか女子がはりきっており、10曲超えが10人ぐらいはおった。
そんでも、最高で15曲とか。
私が19じゃけえ、女子がみんなしてインチキじゃとかブチブチ言いよった。
あんまりうるさいけえ、みんなおるとこで先生に言うたんよ。
いいえ、六崎君はインチキじゃありませんよ。
ギャンギャン言うとった、女子のイケズどもは黙ってしもうた。
だはは~は、ざまみろ女子ども。
しかし、まあ女子の言うのも無理はなかった。
男子ではみんな3~5曲ぐらい、しかも簡単な曲だけなぞった程度。
女子のトップで15のとこ、さらに難しいのを4曲とは、やつらのプライドが許さんのじゃった。
六崎のやつが、あの顔で19とは許せない、きっとインチキしたに違いないってね。
アホか、この顔じゃけえひけたのを知らんのかってね。
ま、それはええとして、最後の一曲もあと一ヶ月あれば、認定もらえたと思うんよ。
トライは3回やって、もうちょいって言われたけんね。
その後弟らは、いくら大きくなっても音程の間違いはなおらず、それを世間では音痴って言うらしいことがわかった。
人間て、同じように見えて、音痴と音痴じゃない人っておるんよねって思うた。
さらにその後、小学校高学年の時パレードで演奏する曲を夏休み終わりまでにできるようにしとけっていうのがあった。
し、しかし、夏休み遊びほうけとった私は、全く演奏の練習をしとらんかったことで、ビビりまくり倒すことに。
あああっ、ど、どうしよ。
うわ~、ヤバい、この顔では。
し、しかし、どんな曲じゃったっけって思い、リコーダーでひいてみた。
あれ?ひけとるぞ、おかしいのう。
顔の問題なんかのう、わからんのう。
全く練習しとらんかったのに、音が2ヶ所間違うとるだけで、ひけとることを発見した。
なんか得した感じなんじゃけど、サボっとったことは反省せにゃいけんねぇ。
そんで、なんか聞いたことのある曲なら、家にあるオルガンとかリコーダーとかハーモニカなんかでひけてしまう特技があることがわかった。
そんで、アニメの歌やらクラシックやらをひいとると、末の弟が寄って来て、お兄ちゃん俺もひきたいよ、どうやるの?って言うんよね。
ああっ、ホントだぁっ、できたできた。
そのわけのわからん演奏は、しばらく続くのであった。
まあそんなこんなありまして、成長してからは、占いとかの類いではよく芸術の能力を指摘されることがままあった。
う~む、こんな能力は今世の力じゃないわなぁ。
そうなんよね、これは過去世の力よね。
それは、ベータ星で会得したもんよね。
芸術家民族としての、ラファエル系やガブリエル系から手ほどきを受けたんよね。
それが、ガキの頃からチラチラ顔を出しとった。
小学校四年の時に、粘土で人間の顔を作ることがあったんじゃけど、それを見て芸術家の父がビックリした。
兄弟の中で、一番芸術の才能があるいうことなんよ。
才能は一番下の弟がドベ。
たしかに言われてみれば、あの年代ではテキトーに作るんで、ある意味駄作なんじゃけど、私のが比較的マトモ。
下へ行くほど崩れとる。
しかし、私は小学校から芸術の力をほぼ発揮せん方向へ行った。
それは、両親の教育のあり方がそうさせた。
絵日記を書いとった時に、ブン殴られて書き直しさせられた。
こうた平面的なアサガオの葉っぱっちゃねえべ、バカこの。
そんで、鉄拳が容赦なく私を打ちのめした。
気をとり直してもう一度描いてみても、さらに殴られた。
違うって言ってっぺよ、このバカが、こんでは平面だっぺ平面。
全く言うとる意味がわからんかった。
葉っぱって平面じゃなかったっけ?
小学校二年生の頭では、どこが間違いだかわからない。
父が描き始めた。
こうたふうに描ぐんだよ、こんでは葉っぱが全部こっち向いでっぺよ。
言われてみれば、たしかにその通りじゃった。
しかし、それはもはや小学校二年生の描く絵ではなくなっとった。
それ以降、両親はことあるごとに、私の作品を大人の作品に作り直すことをやり続けた。
私には芸術に関する無力感から、創造意欲が失せていき、芸術を漠然と憎むようになっていった。
学校での図画工作は、ただただ苦痛でしかなくなっていき、当然やる気は失せ、作品もつまらないもんばかり作るようになった。
学校で、図画工作で賞をとりまくるようになったのは、私に次いで才能ありと言われた真ん中の弟じゃった。
中学でも図画工作ぎらいは直らんかったんじゃけど、テキトーに描いた絵に、美術の先生が時々大騒ぎすることがあった。
おいコラ、仁丹野郎、なんでオメーはこんな絵が描けるんだ、この野郎。
先生はなぜか私を仁丹野郎と呼んだんじゃけど、意味がわからんかった。
先生としては、かなりええ評価出せるレベルいうことらしかった。
おいコラ仁丹、ここはこう描いたらいいぞ、とか変にいろいろ教えてくれたりした。
芸術家は、わけわからんとこがあるのう。
ともあれ、私にもともとベータ星仕込みの芸術が眠っとったとしても、成長の段階で過度に圧迫や脅迫されて、製作を強制されると、創造意欲をなくしていきよるね。
あの当時の芸術全体への憎しみは、今は地獄芸術への憎しみとなって燃え盛っとる。
地獄芸術への憎しみは、父の作品の全破壊となって爆発し、セシウムカルトn崎への攻撃になって、悪タタキポイントゲットの旨味にもなっとる。
地獄芸術許すまじ!
しかし、正当な天国芸術で高等なものは、人々の財産として仕事をします。
亡き磯貝さんからダウンロードした力は、私の曲となって生きております。