六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

悪人を養う神の力、それは正義がいくら悪人をやっつけようと覆せない。悪人を助けることは神が考えればよく、人間がやるべきことは可能な限りシゴウすること。

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これまで身に降りかかった悪人の被害、それを私は好んで可能な限りシゴウしてきた。

幾多の詐欺業者、実家の面々、セシウムカルトn崎、職場の悪質同僚ゾロ薬剤師、水面下ではカルト教団K。

一つ言えるのは、悪人はしぶとくてそこそこ強いんよ。

その向こうを行ってシゴウするには、相応の実力と作戦と時間と行動が要るんよ。

残念なのは、自分に関係ない悪人をシゴウできんことなんよ。

こちらから攻めれば向こうが被害者になりよるけえ、こちらの立場が悪くなる。

生まれ落ちるなり、私は両親はじめ実家の面々の虐待の猛攻を受けて衰弱した。

復讐を誓いながら、4歳の知識や力ではどうにもならんかった。

私は懸命に解決の糸口を見いだそうとしてもがいたんじゃけど、とうとう解決せんかった。

私によって改心した者や誤解が解けて和解した者がおったものの、改心せずに亡くなったりボケたりして時間切れになったり、父はまだ生きとるもののあの顔ではまず改心しない。

つまり、100パーセントの解決にはなっとらんのよ。

詐欺業者もやっつけて大損害を与えてやったものの、首謀者は改心しない。

セシウムカルトn崎も相当打撃を与えたんじゃけど、放射能の病気で心臓をやられながらもまだ福島原発の安全性を言うとる。

私の言葉による攻撃でさらに弱るにせよ、それが死を早めるにせよ、魂まで抹殺はできん。

父にせよn崎にせよ詐欺師にせよ、その罪ゆえに人間じゃなくなり、転生不能になるか動物に格下げになるかは別にして、魂は永遠に続くことからしてそれは神以外破壊できんのよ。

カルト教団Kに関しては組織じゃけえ、個人の力でツブシにかけることは無理なんよ。

自分とは無関係の悪人としては、極悪の限りを尽くしたやつらは一撃でも加えてやりたいとは思うても、できるとしたら見かけた現行犯に対抗して攻撃することしか出来ない。

私によってかなりの打撃を食ろうた悪人どもも、今まだ命があるいうことは、生かしめとる力が働いとるいうことなんよ。

悔しいのう。

それは、大きく見たら神の力であったりするんよ。

盗人にも三分の理とあるように、そんとな悪人でも理由はともあれ存在しとる。

私にやられて苦しんだじゃろうし、苦しいとは思うんよ。

そんでもまだ生きとるのは、生きるための法則の上にあるんよ。

こんなにつらいなら、いっそのこと消えてしまいたいって思うても消えれんのよ。

そうじゃのう、私も父やn崎として生きていけと言われたら、そんとな人生やめたくなるのう。

この悪人たち、道を踏み外したことによる反作用を罰として受けとるんよ。

それが因果応報でもあり、その報いが生前になされるか死後になされるかがあるわけなんよ。

私に関係ない悪人として罪がデカいのは、大量に罪のない人を殺戮した麻×彰×や、個人では単に殺すだけでなく相当むごい殺し方をした女子高生コンクリート詰め殺人の犯人とかいろいろおる。

麻×なんかはなるようになったんじゃけど、それにしたって彼が1人死んだぐらいでは償いきれるもんでもない。

女子高生コンクリート詰め殺人に関しては、これも犯人たちは全く改心せずに再犯をくり返しとる。

これも少年法に阻まれて死刑にできず、無期懲役にもできんかった。

まともな仕事に就けずに一生そのことが付いて回ることが報い言うたら報いなんじゃろうけど、それでも再犯して牢屋に入れば生きていくことはできる。

なんともやりきれん。

父に人生を破壊された人や、n崎に人生を破壊された人の打撃や損害も、考えるとやりきれんのう。

こういう悪人の存在維持に関しては、理由はどうあれそうなっとることはそれが運命。

しかし父に関しては、私も相当人生を破壊されたものの再起不能にはされず、逆襲して相当破壊し返せた。

n崎に関しても犠牲になった人達はそのままなものの、ほとんど被害らしい被害のないままやつのダメージだけは嵩み、被害者の仇打ちを私がやった形になった。

n崎よわかったか、それが心の痛みいうもんじゃ。

そんで、それが肉体的苦痛にも勝る精神的苦痛じゃ。

もっともっとたっぷり味わえ、美味かろう。

私によってかなりの打撃を受けた者は、やはりそういう運命だったんじゃ。

天は、神は、お前らを許さんかったんじゃ。

そんで半殺し生殺しの状態をさらにキープするいうことであれば、それも天や神の意思じゃ。

私が彼らを苦しめようと思い、それができたいうことは神の怒りが私を通して発現したいうこと。

そこにどんな言い訳や理屈付けしようと、神の怒りを受けたいうことなんよ。

罪があまりにも重い場合に、地獄で苦しんだり転生できんようになったり、動物やさらに下等な生物に格下げされてさらに苦しむことになろうと、それは自業自得。

しかし、そういう極悪もんによってやられたら、被害者の被害は甚大になる。

そういうもんには近づかんことじゃ。

私がシゴウした悪人によって被害を受けた者たちよ、次回はそいつの近くに生まれるな。

どうしてもその近くに出てしまうようなら、私が助けられるような場所におれ。

再び私がシゴウして助けてやるぞ。

私は父に言うた、××を元に戻せ!謝ることなんかせんでええわ、元に戻せ!!!

同じことを改めてn崎にも言おう、被害者を元に戻せ!

その罪でお前らが苦しんだところで、肝心の被害者が浮かばれんかったら全く意味がない。

まあそういう思いをいくら悪人に言うたところで、直るもんでもない。

悪人にはどう思われようと、冷静に事務的にシゴウする、もう総括としてそれしかないんよ。

悪人がどんだけ困ろうとも、どんなに悲惨なことになろうと構わんぐらいの冷徹さで立ち向かうぐらいでええんよ。

それでもセーフティネットで助けてしまう神の力があるとすれば、あとは神に任せるしかないんよ。

神よ、なぜ悪人にトドメをささないのか。

それも、人類全体の進化に必要なんでしょうか。

いや、人智を超えたことに関しては、考えるべきではないのかもしれない。

人間は宇宙の法則に従うて、その中でベストを尽くすべきなんよ。