これまで、人々の精神の拠り所となっとった宗教も、もうその任に堪えなくなってきつつある。
勿論正しい宗教はあるし、それによって救われる人がおるのも事実。
しかし、ひと頃のような宗教ブームいうのは、さすがにもうないじゃろう。
理由としては、多くの人が期待してそれを目指して生まれてきたはずのカルト教団Kが、堕落して邪教化してしもうたことが大きい。
救世運動として世の中を変えていくはずじゃったもんが、何度も教義を変えまくり教祖の贅沢のための組織になってしもうた。
初期に画期的なことを言うとったにもかかわらず、それがピタッと止まり、当たり障りないことをダラダラ言うようになった。
最近の転落劇はもう心の教えすらなく、敵対者への悪口に終始し、金集めとその浪費をくり返すだけなんよ。
宗教それ自体が起こした犯罪もあり、霊感商法やサリン事件など特定の宗教のエゴによって引き起こされたもんは、宗教全体の信用を大きく失墜させた。
文章の上では、どんな立派なことも言えます。
知り合いでも嘘つきのエゴイストとして父やセシウムカルトn崎とかおるんじゃけど、対外的には立派なことも言うんよ。
しかしそれが体裁を保つためだけのもんとわかると、人が去って行くんよ。
学校の先生やっとっただけあって、浅く正義ヅラしかしらん人は父を恩師と慕う。
n崎なんかは、ネット上で性格がわかりにくい外人やゲームマニアしか友達がおらず、福島原発の安全デマで吊るし上げられた。
そんなもんよ。
立派なことを言うのは結構、しかしそれは生き方がそれなりにマトモであることが条件なんよ。
宗教が邪教化するシステム上の欠陥は、字面だけの正しさに終始して実際面が伴わなくなることなんよ。
さらに教祖の個人的な欲が入ると、水槽の水がほんのちょっとの墨汁で真っ黒けになるように、組織も腐っていきよるんよ。
カルト教団Kのよかった点と言えば、乱立する宗教の位置づけを明確に示し、説いた者の個性によって違うように見えることを説明したことなんよ。
そういう考え方が行き渡り、人々が邪教を見る目が確かになってくれば、それなりにええ世界になったはずなんよ。
それがいつの間にか独善的な生き神信仰になり、全体主義の組織になった時、純粋性は失われて関わった人が人生を破壊されるようになった。
やはりカルト化しない、宗教以外のものでないと今の世の中では人間の精神を救うようなもんにはならんのじゃないんかねぇ。
宗教は、正しいもんでも抽象論で終わってしまいよるけえね。
少し前のコメントで、長いものには巻かれてカルトの批判をするなみたいなことを言うた人がおりましたが、人間良心を捨てたら終わりじゃと思う。
正しい宗教は情報ソースとし、邪教は相手にせず、あとは本やセミナーなどで自己研鑽するのが無難なのではなかろうか。
宗教を職業にする人以外は、正しい宗教であろうとどっぷりつかることは危険じゃと思う。
世の中、そんなに甘くはないんよ。