障りもんは、関わるとろくなことがない。
大きく言えば、誰にとっても運を持ち去るさげまんであり、運気を吸い取られてしまうんよね。
ただ、人によって貧乏神単独なのか厄病神単独なのか両方あるのかの問題があり、その比率や性質の違いがある。
貧乏神単独とか両方ある人よりは厄病神単独の人が多く、あとはデカさの問題になる。
知り合いの中ではアスペルガーのYさんがダントツであり貧乏神厄病神両方持つんじゃけど、厄病神単独ではセシウムカルトn崎のクソ野郎の方がデカい。
こいつは社会的には高給取りじゃけえ、成り上がり者ではあっても貧乏神じゃない。
このセシウムn崎と似た挙動を示すうちの父も、厄病神としての強さでは少し及ばない。
学校の先生いう立場でやりよる公的な善行(心は伴っとらん)の恩恵によって、相殺されよる部分があって削られとるんよ。
この厄病神要素を持つやつは、友だちができんのよ。
そらそうじゃろう、友だちにとってろくなことをせんのじゃけえ。
厄病神に友だちができるとしたら、同じような厄病神連中の中で、お互い利用し合いながらのしょーもない悲しい関係しかない。
それってすばらしいんか?
そんなわけないのう。
先日言うたU野もカルト教団Kの教祖も、両方あるんじゃけど、Yさんに比べてU野は貧乏神要素が強く、教祖は厄病神要素が強い。
そんで、障りもん同士は時にその主張することが類似したりする。
特に厄病神の連中は、なぜか真っ当な正義とまるで真逆のことをやったり、そういう真逆のやつを応援したりする。
セシウムカルトが以前のアメリカ大統領選で、ブラックな女性候補を応援したり、セコい着服をやらかした知事を擁護したりしとった。
厄病神には厄病神のネットワークがあるいうことか、類は友を呼ぶおっとろしい世界やど。
触らぬ神に祟りなし、厄病神には触らんことじゃ。
触ってええ場合は2つあって、善人の厄病神を治す意味合いの場合と、悪人の厄病神の邪魔をする場合なんよ。