S学会に限らずカルトで言えるのは、信者同士の横のつながりなんよ。
人間関係のしがらみは、結構強かったりするんよね。
逆に言うと、有力で人望があり周りから尊敬されとる人がおれば、その人がそのカルトの邪悪性に気づいてそれを説明することで、多くの人の脱会に結びつくことになる。
私の場合などは、カルト教団Kの教祖が初期に言うたことの正しさと、やがて動き出すじゃろういうことで遠まきに見とった。
周りにも、初期の理論の正しさは言うとった。
しかし、その堕落転落が明らかになった時点で、それを説明した。
そのことで私と同じスタンスで待っとった人や、亡くなったぽんたなど信者として活動しとった者も教団から離れることができた。
カルト教団Kの初期が正しかったことは、私をはじめ波動強化した者の存在で証明できる。
初期に説いた魂6人構造説なくして、波動強化はあり得んけえのう。
また、魂の民族の判定ができる人にとっては、そのものズバリとしか言いようがないんよ。
そういう意味では、今がどうあれ最初の頃のカルト教団Kは正しかったと今でも言えるんよ。
同じことはS学会にも言えて、初代のM口さんは真面目な教育者であり、N聖人の独善性排他性に引きずられたものの、概ね正しさを目指しとったと言える。
おかしくなったのは、2代目でアル中のT田やそのヤミ金番頭じゃった3代目のI田あたりからなんよ。
この3代目こそが、名誉会長その人なんよ。
何が名誉かさっぱりわからんぞ。
ともあれ、最初正しかったもんも純粋さを失うと、転落するのは早い。
まあそんなもんよ。
そんで時間が経つほど信者同士の結束も強くなるし、さらにそこで結婚とかしたらますます動けんようになる。
やはり、個人的に正しさの基準とかを持っとかんと、退くに退けんようになる。
理論の正しさに共感しても、組織のあり方ややっとることをよく見とかにゃいけん。
それから、何か頼まれても断る勇気も必要なんよ。
なぜなら、組織活動は往々にして個人の事情を圧殺するもんなんよ。
そんで、一個人がどんなに頑張ってもできることはたかが知れとるんよ。
じゃけえ組織活動はやらず、正しい理論があってもそれをもとに個人の力を磨いとくことの方が間違いはないんよ。
基本は、宗教のために人があるわけじゃなく、人間のために宗教があるいう原則を外しちゃいけんのよ。