カルト教団にハマり、抜けられん人らには大きく2つある。
未だにそのカルトを正しいと思うとるのか、もしくはおかしいことはわかっておってもこれまでの尽力の意味がわからんようになるのが怖いんよ。
正しいと思うことをやっとるあるいはやっとったはずなのに、なぜかトラブルが続き人生が破壊されていく。
現在進行形の人は、いやいやまだこれからいうことを言い聞かせながらになる。
宗教によっては、迫害されればされるほど正しいとか言う。
まあ理論の内容はともかく、ずっと続けて何も結果が出んのなら、それはちょっと違うじゃろう。
ただそれで数十年も経過してしもうた人は、もうやり直しが効かんとこまでになっとることがあり、そこで間違いに気づいたたところでもうやり続けるしかない状況になっとったりする。
信者ならまだええんじゃけど、その宗教の職員にまでなってもうたら、それはまずツブシが効かんのんよね。
ただS学会ぐらいデカくなると今度は別の力が働き始め、その系統の学校やら会社やらがあって、そこでは一般社会にない秩序が形成され、その中での安泰いうのがあり得る。
まあ邪教じゃけえ何百年も続くわけはないんじゃけど、それでも数十年は続く可能性はあるし、続いてもうた。
その中で職員として定年まで勤め上げた人はおるじゃろし、それで人生がまわった人もおる。
邪教なりと言えども、そこまでになればまた違うパラレルワールドが出現したりするんよ。
マイナスかけるマイナスがプラスになるような感じか、そうでもないような、なんかそんな感じなんよ。
ともあれ長いことやっとったもんをやめるのは、なかなか難しい。
慣性の法則で、それだけ進んでしもうとるけえのう。
他に正しさをチェックする機能もなかったわけじゃけえ、なんとも。
まあ宗教理論に精通しとってその矛盾点を指摘できる人がおって、その言葉を聞くことができて納得できることが何よりなんじゃけど、そうした機会はそうそうないのう。
そういう意味でも、カルトを信じる人に救いはほとんどないのう。
難しい問題じゃ。