アスペルガーのYさんと、一緒にできることは限られる。
同じ立ち位置でキャッチボールできる前やんなんかは、これこれこうじゃって言えばその通りやって、会得したいことをしつこく聞いてきてモノにする。
それが、その通り通用する人ばかりじゃないんよね。
理由はともあれ、これはええって思うものをそれなりに言うたところで、それがそのまま相手の恵みになる人ばかりじゃないんよ。
網干の作業用の家で出会うた隣接するボーリング場の元オーナーも、カイアポや玉椿に関して一緒にやりたいいうことじゃった。
しかし、結局無理なんよ。
玉椿も周囲にふんだんにありながら、全く手が出せんのよ。
カイアポもやってみると、結局全滅。
Yさんに関しても似たような感じで、食糧自給を目指しとった時にサツマイモをやらせてみて、結局9年失敗。
そういう同じ土俵に立てない人は、同じ土俵の人にとって一番ええ方法をやってあげても、それが好意として通じんのよ。
カイアポの作付け方法を教えることは、前やんには恵みになるものの、教えてもそれができん人には何にもならんのよ。
例えば、Yさんに何か実利になるようなもので報いようとすると、一工夫する必要がある。
仕事を頼むにしても、こちらに実損がないことだけにして、それでそれなりに報いる。
それが、一番間違いがないんよね。
こちらとしてはそれほど価値がないものでも、それがかえって実利になることもあるんよね。
そうすることによって、お互いのためになることであればそれはそうすべきなんよね。
そのあたりを考えながら、やり取りするのも修行じゃないんかねぇ。
そこで、でき過ぎて収穫できんヤブツルアズキや緑豆をあげたり、網干の作業用の家でとれたデコポンをあげたんよね。