六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

311東日本大震災から13年、守護霊たちが設えた逃げのルートを振り返る。

13年前の今日、仕事中にグラグラきて5分ぐらい揺れとった。

 

そして、その後しばらくは生きた心地がしない地獄を味わうことになる。

 

震災からほどなくして、福島原発メルトダウン

 

その放射能の雲からの、逃避行が始まった。

 

しかし、あの月の半分以上が休みになるいう奇跡は、どう考えても設えられたもんとしか思えんのよ。

 

それは上司の横暴に怒り、限界近くまで有給を取ったことによるもんじゃった。

 

あの時あの上司でなければ、あんなことはせんかったじゃろう。

 

メルトダウンして放射能の雲の第一陣が飛来したのは、15日じゃったか。

 

急ぎ東京を逃げ出して、ひとまずは名古屋まで。

 

駅前のミユキホテルに逃げ込み、原子炉への放水を固唾を飲んで見守ることになる。

 

さらに、その月は西日本への旅行を入れまくっとった。

 

福知山、徳島、大分、それと急に逃げ込んだ名古屋なんよね。



3回ほど飛来した放射能の雲を、まさかの全避け。

 

あの時の人選タイミング状況など、どれ一つ欠けてもなし得ない。

 

それからおよそ1年後、東京から姫路に移転することになる。

 

救世運動失敗の判明から、あの時の逃避行のためのことは、守護霊が調整してくれとったんじゃろうね。

 

あの経験は2度としたくはないものの、振り返ってみると、上手くできとったんよね。

 

あの時の経験は、いろんな教訓を生み出した。

 

横暴な上司の理不尽なことには徹底して反撃すべきこととか、急な災害に関しては相応の対応が必要とか、使命がある正義には天が応援してくれることなどなど。

 

ともあれ、13年経ってみて改めて感慨深いもんがあるんよね。