行は重なると実力や業績になる。
私の仲間内で、波動を修得した人らは、私が過去に行を積んどらんかったら、その技も使えとらんのんよ。
このように、積んだ行が他者の力になることもある。
どれだけ積んだかにより、それが結果を変えていくことにもなるんじゃけど、この世界は物質を介在させよるけえ、結果が大きく変わる臨界点もあるんよ。
行を積むのに、これまで費やした力があったとして、100ぐらいまではそれほど大したことなかったようなことが、100超えた途端に劇的に変わるいうことがある。
私にとっては、波動強化する前と後では大きく変わったように、どこかで臨界点に達する。
この臨界点に達する前と達した後では例えば積んだ行が99と101じゃったとする。
しかし2ポイントの差しかないことでも、現実面の差はでかいいうことになる。
柏在住のぽんたが、放射能の影響からか発病し、闘病しとる。
状況が悪いなら悪いなりに、彼もベストを尽くして行を積んどる。
そして私の自宅まで来るいう結果を出した。
私に会うことで、会わにゃ得られん技や能力を身につけて、持って帰った。
本人も、何物にも代え難いっていうぐらいのもんじゃった。
そんで、新たな状況を自分で作り出し、そこで行をまた積んどる。
ブログリンクにある前やんも、農業で行を積み、いつの間にか手広く作付けしとる有り様。
今年の作付けで、初めて味わうであろう自分作のメロン。
おそらく、感慨ひとしおじゃろうと思う。
今年の作付けを終える時、数年前とは比べもんにならん実力を見ることじゃろう。
他の仲間内も、波動強化前には思いもよらんかった魔法力を持つに至り、改めて積んだ行の大きさを感じるじゃろう。
行を積もうとしても、積んだことにならん人が一部おるんじゃけど、そういう人への対策が今後の課題じゃろうと思う。
私は生まれる前に、大きな希望を胸にしとった。
行を積むことで、それに向こうた。
達成できればええと思いよった。
しかし、それは頓挫したものの違う形で積んだ行により、自己発揮しながら行を積めとる自分を幸運じゃと思える。
目標があるのなら、いつかわからぬ臨界点を待ち、行を積むしかない。
積む作業は単純でも継続が難しい