ここ最近アスペルガーノートを作り、Yさんの能力構築に動き出したんじゃけど、ノートを渡す時点で肝心なことは書いた。
その後で、前やんのブログから学びになる部分を列挙させるようにした。
そして、それらを追いかけさせることにした。
アスペルガーの能力構築、まずは6年経ってもまともに作れないサツマイモの栽培。
前やんのブログは基本をしっかり押さえてあり、初心者にはうってつけなんよ。
肝心な作付け方法、必要最低限の条件は私の言うところに従うて記載してある。
その補足としての部分で、前やんのブログは役に立つと思われた。
いや、普通は役に立つ。
しかし、学びになる内容を追いかけさせたところ、それって学びなん?て思わされることばかりなんよ。
これが実物なんじゃけど、灰を作ることとか今さら学びなんか?
これ、どうしたもんかねぇ?
学びになるとこを列挙させて、結果学びにもならんことが多い。
内容そのままの羅列であり、ポイントが掴めとらんね。
これを書いた以上、このどうでもええことまで追いかけるいうことなんかねぇ。
なるほど、アスペルガーには忘却もさることながら、判断の部分で要所も掴めないいうこともあるようよね。
じゃけえ、やらんでええことやって失敗するんよね。
そういうことなんじゃ。
そうなると、本人が学びになると思うて書いたことまでチェックし、要らんもんは消していかにゃならまあ。
そういう作業も必要なんじゃのう、なんか面倒にできとるね。
書いた内容そのままであれば、例えばそこに不必要なことが7割あったとする。
その不要な7割のための思考や行動が発生し、必要な3割まで侵食されて結局はオジャンになる。
そういう判断基準の狂いまで治そうとしてもおそらくダメじゃろうけえ、一通り方針通りやらせてみて、それを踏襲さすしかないのう。
なんでそういう判断になるかは、この際考えないことにしようか。
考えるだけバカバカしい。
う〜む、やはり与えられた目先のことしかできないのう。
そんで、それもいつしか消えていく。
緑豆ができてサツマイモができない理由が、緑豆の場合は簡単過ぎて作業工程になっとらんいう理由なら、このノートの補助でもおそらくできないじゃろうね。
とりあえず、どこまでどうかやってみるしかないのう。