前やんと金沢へ行ったことは、正直私個人的にはもうある程度どうでもよかったんよ。
どうせ行っても何もないし、誰もおらん。
前やんに案内しておけば、また誰か連れて行く時に何とかなるかぐらいの気持ちじゃった。
本来なら北陸新幹線がもう延伸になっており、青春18で行けんはずが行けたんで、まあちょっと行ってくるかぐらいのことじゃった。
しかし、行ってみて予想外のことが多々あった。
意外じゃったのが、前やんの驚きがかなり大きかったことなんよ。
それで、私自身ではあんまり自覚しとらんかった生活環境の過酷さが、改めて実感させられた。
そして場としての効果、それはその場所ならではのことで、それがわからにゃ話ができんことって結構あった。
バイト先がここで、それをここから通うとったとかいうことも、単に地図で見るのと実際に行くのとではまた違う。
坂道の過酷さや道の悪さ、それによる距離感。
それら思い出の場所も、知らん人に話をするにはまずそこから話をする必要がある。
しかし、一回行けば話すよりも早い。
さらに情報共有できたことで、派生して話せることが増えた。
単に大学とバイトの両立の話も、背景がわかってからならなお一層理解が進む。
そしてそれらを話すにあたり、改めて当時の取り組みとその中にある現在の動きの基本になるようなものが整理できた。
前やんに対して、そんなに知りたければついて来ればぐらいの感覚で、ほぼほぼ前やんへの大サービスのつもりでおった。
しかし、結果的には若かった私に再会して、改めて談笑したような感覚になった。
おう、若い頃の私、久しぶりじゃのう。
おう、中高年の私、時を経てどうじゃった。
なんかそうした自分の中での自分との再会、お互い頑張っとる中での対話。
若い頃の私が、改めて往時の苦労話をする。
今年、これまでの農業を新しい体制でやるにあたり、改めて卒業証書を大学に取りに行ったような、そうした気持ちの整理にもつながった。
勿論、前やんが大きなショックと共に得たものは多大ではあったじゃろう。
しかしうれしい誤算としては、私もそれなりに得たものが大きかった。
ついぞ他人に話すことがなかった金沢での過去、前やんの曰く濃いですねとか言うその言葉通り、改めて掘り起こしてみるとそれはそれなりに使えるものが眠っておった。
またしばらくは行く必要もないんじゃけど、また時が経てば再発見があるじゃろう。
それまで若い頃の私よ、しばしさようなら。