生まれる前に救世運動に参加すべく計画を立てて出てきた人ら、それは二足の草鞋を履くいうことなんよね。
人は生まれるにあたり、その人なりの人生を生きにゃいけん。
それはそれで大変なことであり、誰しも高齢になればその人なりの手記エッセイなどで一冊の本の内容ぐらいのもんは残る。
その一般的な人としての人生が、まず一足めになるんよね。
さらにそこに救世運動参加理念があると、それも考えながらの人生になる。
それが二足めになるんよね。
つまり生まれる前から同時に2つのことを考えとるわけで、その分力が分散されて一つ一つはそれだけパワーが半減する。
そうした条件でやっとるんで、ある意味かけ持ち人生でハンデがあるんよね。
大学時代に私もバイトと学業を両立させたんじゃけど、人生においてそうやっとるのと同じいうことになる。
大学時代も、かけ持ちを始めた時には各々のパワーが半減してしんどくて大変じゃった。
最初80点ぐらい取れとったもんを2つに分けることで50点ぐらいになり、それらを70点ぐらいにまで持ってった。
救世運動参加理念を持って生まれた場合に、潜在意識の半分の思考はそっちに取られとるんで、長い間にはそのハンデが実生活にも反映される。
しかしその動きの鈍さを指摘されることで頑張り、理念を持たない人と同じようなパフォーマンスを出せるようになれば、相当鍛えられたことにもなる。
そういう意味で、そのキツさを承知でそれを持ちながら頑張った人はおった。
しかし救世運動の失敗で、そのハンデが適度な重さのおもりからヘビー級の重さに変わり、鍛える意味合いから破滅を意味するようにもなった。
ある意味恐ろしいものの、しかし本来ならその二足の草鞋を履くことがこの上ない進化への道としても機能したはずなんよね。
救世運動参加理念保持者、それはユートピア仏国土を目指して理想に燃えて出てきた者であり、カルト教団K堕落後はどこかで折り合いをつけないと破滅の道を突き進むことになるんよね。