空海は経典を原語で読むことと、密教の奥義を継承しとった恵果から直接教わることで体得した。
そういう意味では、確かに生きとるんよね。
同じことは私の波動理論にも言えて、いくら私の本やブログを読んでも決して波動強化はできんし、技を体得することはできんのよ。
空海が目指したもんは、釈迦が会得した悟りに近づくことであり、そのためには霊的世界に没入することにあった。
やり方を体得しとる人から教えてもらい、なおかつその説明が書かれた経典を原語で読むことで体得した。
私の波動理論も、本を読んだ後に直接私もしくは技を体得しとる人たちから聞くしかないんよ。
字面だけ追うても全くムダであり、そこに真意を求めても無理なんよ。
他にも前やんやオルゴンMなど技の体得者のその技は、みんな生きとるんよね。
理論を理解しただけでなく、実際に体得会得してこういうもんじゃって見せられる。
ちょっと残念なのがアスペルガーのYさんで、技の実演が完全にできない。
字面はマスターしとるし簡単な技はできるものの、私の技の真意はわからん。
まあ彼の場合にはある意味精神疾患なんで、実務面の体得が私の理論に限らず難しいんよね。
そんな彼でも、初心者に説明する意味では先生役になれる。
ただし意味が理解できとらん部分に関しては、その事柄に関しての翻訳作業が必要になる。
こういう意味で体得するには資質やセンスが要求され、そうした部分にはやりながらの説明がどうしても必要なんよ。
それがわからん人が、ついて来れずどこかで去って行くことになる。
大学の時には薬学部じゃったけえ、授業とペーパーテスト、さらに実習とそのテストがあった。
それらの必修科目は全部やらにゃ卒業できんけえ、とにかく通していく必要がある。
それと似たような部分があって、まず本から入ってきてそこから理解した上で実習にあたる技の実演を習う。
ペーパーテストはないものの、結局履修できたかどうかは、現実に使えるかどうかでわかるいうことなんよね。
できるふりをすることは、いくらでもできる。
しかし、実際やらせてみて本当にできとるかどうかがわかる。
最初初心者は、アスペルガーのYさんから説明を受けて簡単な技から教わるとして、おそらくすごいって思うはずなんよ。
しかし、その部分が履修できると、体得者から改めてより突っ込んだ内容を教わり、Yさんが実際にはできとらんことがわかるんよ。
最初から体得しとる人から教わる分には、順序立ててやっていくんで確認しながら進むことになる。
私やオルゴンMあたりから習える人なんかは、その通りやっていきゃええんで、体得者として最低限のレベルまで到達するのは時間の問題になる。
九州の新参の人たちには、本州の人たちがなかなか行けんけえ、私が出張って教えることになる。
そのあたりがちょっと大変で、九州の人らも遠出ができんのがネックよね。
幸い私が行ったり来たりすることで、ある程度何とかなった。
しかし遠隔地の不利って、どうしようもない部分があるんよね。
とりあえず、そういう技の部分の継承のこと、字面だけではわからん部分がある。
字面だけのもんが顕教であり、それだけでは体得には至らんのよ。
体得者がおらん集団の理論は死んだ理論であり、真意は伝わらんのよ。
私らのグループで私をはじめ体得した人たちが全滅したら、死んだ理論としてああかもしれないこうかもしれないいう感じで論じられるだけになるんよね。