六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

ブックオフのくじ引き大はずれで、さっそく買い物してきた。昔懐かしの、アンデルセン物語なんよ。

ブックオフのくじ引き大はずれで、一枚50円の買い物券になったくじ引き券。



 

さっそく網干店で、買い物してきました。

 

戦利品は、これらになります。

 

100円コーナーの外国語の本と、500円コーナーのDVDなんよ。

 

他の人は要らんもんでも、私や仲間内にとって活用できる価値がありゃええんじゃ。

 

さて、このアンデルセン問題なんじゃけど、ちょっと探しとる話があるんよね。

 

保育園の頃、おそらく5歳か6歳の時に見て、その後の人生観に関してかなり大きな影響を与えた作品なんよ。

 

題名がわかりゃええんじゃけど、マイナーな話じゃけえわからんのよ。

 

これはリアルタイム放送が昭和46年で、私が見たのは朝の再放送時間帯の時なんよ。

 

学校行く前じゃけえ、いずれにせよ朝出かける前に見たんよね。

 

内容は、息子を連れ去る死神と交渉する話なんよ。

 

母親は死神のとこにたどり着くまでに出会うた者に、その居場所を聞くのにさんざん苦労をする。

 

目玉を取られて盲目になったり、若さを吸い取られて老婆になったりしてボロボロになってようやく到着。

 

死神に、死んだ息子を返してくれるよう死神に頼むんよ。

 

そこで、死神が息子の2つの未来を見せるんよ。

 

生き長らえた場合と、そのまま死んだ場合となんよね。

 

生き残ったとして、貧乏人のその子は路頭に迷い、悪いやつらにシゴウされながらドン底の人生になる。

 

はたまた死んだ場合には、神様の元で祝福を受けて第二の人生スタートになり、幸せになるいうもん。

 

それを見た母親は、まあいずれかの判断をして終わる話なんよ。

 

それを自分の人生に置き換えて見た時に、ああもう生きておってもろくなことがなさそうじゃ、それよりは死んで神様の所で祝福されて新しい人生行った方がええんかってね。

 

生きとる人にとっては知人が死ぬことは不幸なんじゃけど、本人にとっては必ずしも生きること自体が幸せとは限らんもんなんよねって思うた。

 

ああ、そんなら死んだ方がある意味幸せで楽なんかもしれんて思うた。

 

実際に優しい母方祖父母はおるものの、両親からの虐待で生きること自体が苦し過ぎた。

 

何とか倒して自由になりたいものの、大人2人に対してガキが単独で挑んだところでまず勝ち目はない。

 

そんとな身の上で、その死神に頼みたいとさえ思うた。

 

自殺の概念がなかったことで、結局そのままになってしもうたものの、生き長らえなかった選択をしたとしてどうじゃったかいうことは、小学校入ってもしばらく続いた。

 

まあまあ私の事情は事情としてそんなとこで、安く集められる時に集めといて、次回の予告にでもそういうのがあればええかなって思うとる。

 

今回のは人魚姫じゃけえ、タイトルからして全然違う。

 

まあそれはそれとして、キャンティとズッコのコンビがくり広げるドタバタなんかも、懐かしさと共にまた見れるんよね。

 

世代的にはどうじゃろか?

 

オルゴンMは見とらんじゃろうけど、福山のKさんはドンピシャの世代。

 

亡くなったぽんたあたりは小さ過ぎて、おそらくわからんじゃろうね。

 

前やんになると、おそらく見たことすらないじゃろうね。

 

ガキの頃に考えた死生観、それはそれで限界があったものの、その後の人生においてふと頭をよぎる瞬間がたまにあった。

 

塞翁が馬の話にも似て、一見良さそうに見えるものも進んでみるとそうでもなかったとか、どうもならん状況のはずがかえって悪くなかったとかいうことよね。

 

大学で同級生Yのイヤガラセ工作によって巡り巡って地獄バイトをする羽目になったものの、かえってそこを克服して信用回復してストレートで卒業できたのは、悲観的な予測から思わぬ喜びが得られたことじゃったんよね。

 

ただストレートで卒業して順風満帆に思われた社会人のスタートにあたり、酒とストレスの地獄の職場に落ち込んだことで体を壊したりした。

 

そういういろんな意味で、人生の意外性を学ぶきっかけにもなった。

 

まあ、そのうちどこかで該当作品を得られるんじゃないんかねぇ。

 

気長に待ちますか。