保育園の頃見た虫プロのアンデルセン物語、そこには幼い頃の私の死生観に多大な影響を与えた話があった。
その話を探して、ブックオフでDVDがあった時に少しずつ集めとったんよね。
しかし題名もわからんマイナーな作品、捜査は難航した。
それで急に思いついたのが、YouTubeなんよ。
アップされとったら、その中でそれと思しき画面をクリックしてみようかと。
そしたらついにありました。
5話目で、タイトルは「頑張れママ」なんよ。
作品のあらましは先日述べたんじゃけど、ザックリ言うと、死神に連れ去られた息子を取り戻すために母親が艱難辛苦に遭うんよね。
改めて見てみると、その苦難の描写がひど過ぎた。
実に、50年ぶりに見たことになる。
まず馬車で出かけた母親は、まず馬を奪われる。
さらに両目を奪われて盲目になり、イバラの谷に落ちる。
そこにあったイバラの大木に助けを求めると、凍えた体を暖めてくれたら助けるとか言われて、トゲトゲのその木に抱きついて痛みに耐えながら暖めてイバラは花を咲かせる。
満足したイバラは、ようやくその母親を解放する。
やがて死神の所で墓守りをしとる魔女の老婆に会い、死神に会わせてくれと頼む。
すると、若さをくれるならと言われる。
母親は馬や目を奪われて、イバラに傷だらけにされた挙句老人になってもうた。
ようやく死神に会えたものの、そこで息子の2つの未来を見せられる。
このまま死ねば、神様の元で祝福を受けて新たな人生を幸福に生きられるいうもの。
生き残った場合には、その子は貧乏な中路頭に迷い、悪いやつらにボコボコにシゴウされる悲惨な人生になるいうもの。
それを見た私は、ああ今まで生きてきてろくでもなかったし、今後もどうやらそうらしいって思うた。
まだ5歳ぐらいじゃった私は、それまではいつかは楽しい日が来るぐらいに漠然と考えとったし、実家がおかしいのはわかるんじゃけど、それもいつかは倒せるって思いながらやや楽観的に考えとった。
しかし、現実があまりに苦しいことを再認識した上で、生きとっても苦しいだけでろくなことがないいうことで、かなり絶望したんよね。
当時自殺の概念がなかったことで、この死神に連れ去られた子供が羨ましく思えてならんかったんよ。
ああ、このままおじいさんになるまで死ねないのかってね。
生きることが必ずしも幸せとも限らず、かえって苦しいいうことを実感してしもうたんよね。
ただ現実がそうである以上、その現実を踏まえて今後を考えにゃいけんいうことで、その限りない絶望の中を生きてきた。
いつしか被害を受けた悪人を、徹底して痛めつけることでご利益を得られることを発見したこともあり、立ちはだかる悪人を次々と撃破していく中で、状況はだいぶ逆転してよくなってはいった。
まあそれはそれ。
このアンデルセン物語の話を見た時のガキの私は、かなり思い詰めてしばらくそのことを考え続けた。
同年代で同じ番組を見て、そんとなことを考えとる人はおらんかったんじゃないんかのう?
いかに、置かれた立場が厳しかったかがわかる。
普通、その歳でそこまではなかなか思わんもんなんよ。
自殺の概念があれば、おそらく自殺しとったじゃろうね。
これ、今の時期どうなんかね?コンプラ的に言うて、おそらく放映できんのじゃないんかねぇ。
こんとな辛過ぎる番組なんか、やれんじゃろう。
ともあれ、こういう背景があった上で、虐待にあえぎながら両親を倒そうとし、謀略を練り始めていったことになる。
既に4歳ぐらいに両親を死なない程度に殺したるいう目標設定はしたんで、圧倒的な絶望感をつけ加えられた形になる。
その中で最善の選択をしながら、能力を伸ばす方向性でまくることにした。
やがて絶望を逆転させながら打ち崩していき、ついには元凶の父を虫の息になるまでシゴウした。
人生のかなり早い段階で見たことで、その後のことが大きく影響を受けたじゃろうね。
ともあれありがとうアンデルセン物語、ありがとう虫プロの人たち。
残酷なストーリーではあったものの、人生は非情いうことを早い段階で思い知ることになった。
それが、今の能力形成の下支えになったことは事実なんよね。