東日本大震災の発生翌日に、最大震度6強の地震で大きな被害を受けた長野県栄村では、被災から5年を迎えた昨日、復興を願ってろうそくに火をともす「灯明祭」が開かれた。
灯明祭は同村の中心部にあるJR森宮野原駅前で行われ、約2500個のろうそくが道沿いや駅前広場に並んだ。
この震災による住宅の全半壊、一部損壊は約700棟に上り、道路や橋なども大きく破損。
村の避難所には当時、最大で村民の8割にあたる1787人が避難した。
直接の犠牲者はいなかったが、避難生活の中で過労やストレスで亡くなった男女3人が「災害関連死」と認定された。
東日本大震災がすごすぎて、あんまり印象に残っとらんのう。
ていうか、福島原発事故がどうなるかで頭が一杯じゃった。
今考えて見ても、あの時既に原発事故が起きたら逃げるいう意識があったいうことなんよね。
仲間内にも迅速な伝達と指示。
今でもおそらくベストと思わされる。
セシウムカルトになったインチキ放射能手抜き測定野郎、n崎n詐欺にも連絡を言う声もあったんじゃけど、あんな役に立たんやつは要らん言うて捨て置いたのも正解。
あの時は逃げた先の名古屋でも静岡の余震に襲われ、いろんな意味で余裕がなかった。
こういう余震での被害は、受けた人以外はなかなかわからんもんよね。
ともあれ、原発事故の時に逃げる算段がなかったn崎は、その時点でベータ人として終わっとるのう。
逃げる意識も家族を逃がす意識もなく、ずっとおらにゃいけんかったけえ、遅まきながら安全いうことにしとるだけ。
事故の前に見向きもせんかった福島を安全にすべく理論構築。
都合よくへばりつける教祖、インチキ科学者K誠とセシウムカルトを立ち上げた。
K誠にしても、福島原発事故の前には見向きもせんかったじゃろう。
さぶ赤で自分のバカ面とセシウム料理の拡散、美しくもない祭りの映像で懸命に福島をアピール。
本赤でもくだらねえゲーム機塗装に混じって寿司や祭りをアピール。
能なしには、そんなことぐらいしかやることないんかもな。
天変地異は完全には予測できん。
それなりの防災意識を持ち、対策を図ってこそ被害は減らせる。
危険なもんを安全言うのは愚の骨頂。
個別判断は個人に任されとる