福島県に設置されたモニタリングポスト、近々8割ほど撤去されるそうな。
それってどうなん?
放射線は目に見えず、体感もありません。
そうしたもんが、モニタリングポストがあることである意味可視化される。
設置されたこと自体が異常事態なんじゃけど、重大な事故じゃけえ仕方ない。
本来なら国が住民の移住をやるべきところ、そのまま住まわせたりしよるけえいけんのよ。
住民の方々も、本来なら自主的に移住した方がええんじゃけど、なかなかそういうわけにはいかん人もおる。
住むなら、それなりに対策が必要なんよ。
それが、モニタリングポストによる可視化。
年間、6億円ほど経費がかかるらしい。
そんだけかかるにしても、それは住まわせる以上仕方ない。
モニタリングポスト撤去した後は、ネット上で10分ごとに計測値を表示するらしい。
原発事故からまだ7年、セシウムの半減期のことを考えると、300年は監視が必要じゃろうと思う。
そんで、それは廃炉作業が終了しての話。
廃炉も終わらんのに、事故の記憶を風化させちゃならまあ。
そんとなことして喜ぶのは、被曝を推進するセシウムカルトだけじゃ。
セシウムカルトの御用学者Kく☆まこなんかは、福島の甲状腺ガン検診に反対しております。
安全性が疑われるとこに住むのに、検査は必須じゃろうと思う。
こいつらも、事故の記憶の風化を目論む。
やはり福島からは、いろんな意味で離れるべきじゃと思います。