最後の勤務を終えて、何かいろいろあったと改めて思う。
今のところ、まだそれらを振り返ってどうのこうのいう余裕はない。
会社の籍はまだ4月まではあるにはあるんじゃけど、その後は失業保険もらいながら、生活基盤の構築をせにゃいけん。
それが整うた後に、ゆっくり感傷に浸るもよしなんよ。
冷静に分析してみると、おった会社は個人の事情は考えてくれず、ゆるやかなブラック企業じゃったと思う。
その中では、同僚に悪いやつがあんまりおらんかったことが救いではあった。
実に、20年以上居てしもうた。
管理職に昇進していく人が優遇される組織であり、かと言うてその中間管理職になったらなったで余裕がなくなる。
それで体を壊したとしても、助けてくれんのよ。
原発事故の時も、逃げろとも言わんかった。
まあ、それは他もそうなんよね。
早い時期に上司に裏切られやりがいも見いだせんようにもなっとったし、そういう組織ならその上を行って利用したろって思うた。
本社の研修なんかが充実しとったけえ、会社のためでなく自分のために学んだ。
中間管理職になっても意味はなく、それは能力が育たんけえなんよ。
よっぽどその仕事が大好きで、会社の上の方に行きたい人はそれでまくってもろうたらええ。
しかし中間管理職になってそのままになると、職場のメンテナンスと部下の管理に時間や労力を取られて能力がほとんど伸びない。
前の職場のOさんいう上司なんか、10年以上同じポジションなんじゃけど、性格的にモンスター客を養成してしもうたり、いつもテンパリながらやっとって典型的なダメ中間管理職じゃった。
その人とはその前の職場でも一緒じゃったこともあったんじゃけど、ほとんど能力的には変化がない。
モンスター客の対応のことで吊し上げてやったことがあったんじゃけど、言うてもムダなんよね。
会社のこと以外何もできんけえ、会社が時々やらかす無理難題に苦しめられながらやってくしかない。
それも感覚が麻痺もしとるじゃろうけど、そんなの積み重なれば体も壊すじゃろう。
中間管理職のスキル自体は、他に行った時には全く役に立たん。
私は毎年違うことをやり、能力を広げ続けとる。
それはさておきこの会社が時々やらかす無理難題は、マジで仕事ができん状況に追い込まれることになる。
東京におった時、都心からあきる野まで通わされた時はひどかったのう。
片道2時間で長時間労働、朝6時に家を出て帰りは夜12時、それが9ヶ月。
生活は荒れて、何もできんかった。
この時はさすがに辞めると騒いで会社がすぐ対応したんで思い止まったんじゃけど、一昨年の新居移転の時に異動を2回もやってくれて、あれはさすがに死ぬかと思うた。
ええ具合にカイアポの生産体制が整うたこともあるし、もう我慢がならんわ。
会社を利用した能力開発は、研修以外では多言語会話があった。
これは、私が環境特性を考えた上で思いついた良策じゃった。
外人と話したがるやつはまずおらんけえ、みんなして私に振ってきよる。
会社を食い物にして、多言語会話能力を身につけてしもうた。
これがあったんで、長いことおれたんよね。
そうでもなければ、かなり前に辞めとったかもしれんね。
渋谷の職場が外人が多いいうことで、そういう意味での転機があったんよね。
辞める前におった職場はジジババしかおらず、外人のおらんとこに左遷されたことも一気にやりがいを無くしたね。
外人の多いとこにバイトとして残ろうにも、コロナで免税が壊滅してしもうとる今はもう無理。
ここはもう天意なんかもしれんのよ、潮時のね。
業務自体も機械設備を安物にして経費を削ってやりにくくなり、交通費もケチり、昔にはなかった業務も増えた。
さらに一昨年、あんなひどい目に遭わされてはもう割に合わんのよ。
農業の収益を、カイアポ中心に確立させてしまうことに注力すべきなんよ。
それで安定したとこに、ポポーなど上乗せされていくことが理想であり、創作活動もガッツリやりたい。
来月からの動きで、なるべく早く安定させたいと思います。