六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

事態が膠着してきた時が、動くべき時。経験値が得られない環境は、無意味。

これまでの人生を振り返って思うのが、事態が膠着してきた時が、環境を変えるべき時じゃいうことなんよ。

 

大学受験の時に、浪人して頑張る選択肢もあった。

 

しかし、さんざん18年いろいろ頑張ってきてどうしようもなく、ボロボロになっておったことを考えると、そこでさらに頑張ったとして結果は見えとるんよね。

 

そこでやむなく陸の孤島への島流しを選んだんじゃけど、その二者択一は正解じゃったんよね。

 

大学は学部ごとに学びが一新され、高校まで両親の妨害で成績が伸びや悩んどったことも、リセットされた。

 

前やんと巡ったことで、金沢の環境を改めて見直した時にいろいろ気づいた。

 

あの環境だけ、私の人生の中では特異点じゃったいうことなんよ。

 

人間関係も場所も取り組み内容も、そこだけ異質なんよ。

 

全く別の不自由な環境での苦労は、かなり大きな経験値になった。

 

しかし、それも慣れてしまうと単なるハードさだけの平坦なものになり、四年いう短い期間でよかったと思う。

 

あれで大学院を目指すことをやっとったんじゃけど、別の大学院受けて落ちてそれでよかったんよね。

 

うちの大学院と試験日が重なり、そのことでうちの大学院にはそもそも行けんかったんじゃけど、あれであと2年とか5年とかやったとしてどうかと考えると、行かんでよかったと思える。

 

大学時代は、やればやっただけ成果が出せた時期で、それなりに実績を作れたことはよかった。

 

その後入った製薬メーカーの就職先では、それが全く通用せんかった。

 

医者を相手にお金や接待やらの汚い世界で、ほんま腐っとった。

 

正論で押しても通用しない世界があるいうことを学ぶ上では、それもよかったと思うんよね。

 

ただ、体を壊すなどしてソッコーで辞めたかった。

 

結果として4年半おったんじゃけど、あんなとこは2年で充分じゃったのう。

 

あそこでは何やっても成果が出せない時期で、体までガタガタにされた。

 

その後の調剤薬局でも、経験値獲得はやはりそんなもんで3年で転職。

 

ドラックストアも結果的に20年以上長くなったんじゃけど、こことて5年もやればあとは要らんかった。

 

しかし、力で押せばそらなりに通用するんで生活のためにやっとった。

 

ただ、入社10ぐらいして転機がキタ。

 

キターッ!!!

 

外国人が多い店への転勤で、ロシア語を皮切りにいろんな言語をやりまくることになった。

 

これで新たな経験値を獲得しまくることで、昇進していくよりもずっと内容の濃い経験値を得られた。

 

しかし、その環境も免税客が壊滅して左遷された。

 

外国人相手の外国語の接客に対して、普通の業務のなんとつまらないことよ。

 

そこに長年研究し続けてきた農業のことで動きが出てきたこともあり、くだらない業務で時間や体力を浪費することがバカらしくなってきた。

 

事態が膠着してきたんで、思い切って環境を変えた。

 

そうすると、カイアポ以外にトウネズミモチの女貞子が手に入った。

 

さらにYouTubeでの進展もあった。

 

そうした経験値は、ドラックストアを辞めんかったら得られとらんのよ。

 

この状態が膠着する時は、やはりなんらかの決断を求められとって、それを拒否すると終わってしまうんよね。

 

学び続けられることを念頭に置いて活動する時に、道は開かれると思います。