最近実務力のなさによる弊害がバレてきた人が出てきました。
言葉ではそれなりなんじゃけど、実際がそれに伴っとらんのんよ。
ことわざにもあるように、言うは易し行うは難しなんよ。
私も若かりし時、苦しんだのう。
大学時代のバイトで鍛えられました。
いくら大学生じゃいうても、バイト先からすれば単なる労働力。
大学の勉強や実習だけでも大変なのに、深夜のバイトはきつかった。
まるで違う大変なことを増やすと、力が分散されてしまい、頭ではわかっとるつもりでも体がその通り動いてくれんのが情けなかった。
バイト先の餃子屋さんは、大繁盛。
大学1年の時は全く歯がたたず、御迷惑おかけしました。
私は自分で自分を殴りながら、悩み、考えた。
長期休暇の時違うバイトをすると気分が変わった。
休みが終わり、大学に戻ると、違う気分になって改めて餃子屋の仕事を見てみた。
そこを仕切っとるゼウパイの人がやることを、全部真似することを思いついた。
仕事のできなさで、私を目の敵にしとったそのゼウパイの人が、いつしか私を認めてくれるようになった。
あと私がやったのは、私独自の強みを作った。
それは皿を10枚持つこと。
普通4枚しか持てんのを10枚にすれば、カウンターと奥の行き来が半分以下になる。
その分、他のことができる。
大変なことに取り組むことが増えると、そこに兵力を割かれ、それぞれの力が半減する。
半減した兵力で半減前に近いことをするには工夫が要る。
私が多芸多才になったのも、兵力を割かれては苦しみ、また割かれては苦しみを続けた結果なんよ。
複数のわらじを学生時代から履いた私は、その状態を発展させてきた。
ただ、問題は、もともとそうした力が1つの分野でも全くない人がおり、その場合は力を割く以前の問題になるんよ。
まずはこれができるいうもんを作ることから始め、それを増やすいうのが順当なんよ。
仕事のツボを見切ることが、その近道かな。