セイタカアワダチソウの炎でお湯を沸かし、灰を肥料にすることが常態化して久しい。
そうした中、セイタカアワダチソウの炎のわきで、小周天をやるとかなりパワーをもらえることがわかり、可能な限りやるようにした。
小周天は、学生時代の日課。
思えば、あの無用の用とも思えることが、満身創痍の私を甦らせ、今の基礎を作った。
学生時代は、どんなにかったるくても、どんなに時間がなくても、毎日欠かさず小周天はやった。
そこに冬の雪が加勢して、思わぬパワーアップ。
1回1回の小周天自体はそれほどでもないんじゃけど、それが積み重なった時の効果は、知らず知らずのうちに私を変えとった。
小周天には1時間弱かかる。
たき火でお湯を沸かすのも、なんだかんだでそのぐらい。
この一見時間の浪費に見える行為が、案外そうでもない。
小周天の作り出す瞑想状態は、意識覚醒のまま脳や肉体を休め、精神的余裕を作り出す。
こうしたことがあって、学生時代はきついバイトとテストや実習漬けの毎日を乗り切れたんじゃと思う。
たき火に小周天、ちょっと慌ただしいんじゃけど、その分効果も出る。
他に農業とかやることが多い中、慌ただしければ慌ただしいほど余裕がなくなる。
慌ただしい中の日課の1つが、慌ただしさのダメージをある程度解消もしてくれる。
これにより、更なる仕事の発展があればと思う。
慌ただしい環境はβ波優位の状況。
瞑想によりα波、あるいはθ波優位の状況を増やし、β波優位の状況を減らせれば、10年単位で見て大きなプラスを生むじゃろう。
イスラム教徒が毎日礼拝で一定時間かけとるのと、基本的には同じようなことかな。
あの礼拝も、1回1回は大したことなくても、一生かけてとなると、相当精神を変えていく。
潜在象にもかなりの影響を与えることは、想像に難くない。
単純な行為も、習慣化すればかなりの効用、思わぬ効用があるもんじゃ。
小周天、私にとって古典芸術のようなもんじゃったが、改めて引っ張り出して使おうと思う。
かつて通った道、私もバカにしとったんじゃけど、そうでもない。
いやむしろ、それを積極的に組み入れてこそ、次の道、次の可能性が模索できる。
気持ちに余裕ができればスキも減るんよ