六崎太朗の0ヘルツ波動

波動強化人間としての波動パワーを駆使したあれこれ、健康や農業などいろいろ応用可能です。

久々に体を壊してわかった、私は強過ぎる!体が動くありがたさは、ようわかった。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

久々に体を壊したことによる効用として、いかに私が強過ぎるかいうのと、体が動くありがたさを痛感しました。

体の痛さで動けんようになると、やはり痛みで動けん人の大変さがわかり、しんどいのもしかり。

修行前のけだるい倦怠感や製薬メーカー時代の体力のダウンなど、ヤバかった時期の不自由さも思い出しました。

職場でくまなく動き回り、何種類もの外国人客と互角に渡り合い、休みの日は外国語勉強しながら農業をやり、さらに執筆して勉強会やって、悪人タタキやって、作曲も。

東京から九州まで、普通列車で往復なんかもする。

どんだけだよ!

いや~十分でしょう、十分。

一般の人はねぇ、仕事だけでアップアップなんよ。

そこを曲げて、突拍子もないこと発見しては、それでまたまくる!

化け物ですな、化け物。

未だ時来たらず、本来あるべき姿になっとらんだけで、動きとしてはかなりのもんです。

何人分かの動きを、同時にやっとって平気。

そんな状態って、ありがたい以外の何もんでもない。

感謝感謝、ひたすら感謝です。

私の若い頃からの、修行の賜物です。

若い頃からの積み重ねって、長いほど大事よね。

小周天から始まり、肉体が快調なことがずっとじゃと、それが当たり前になってしもうて、動けることに感謝なんぞしばらくしとらんかった。

いけんのう。

ダメじゃのう。

感謝がなくてはダメじゃ。

そういう意味でも、今回のことはよかったと言える。

体が頑健であることに、奢っちゃいけんのう。

いつもの快調さのもとに、他の人のこと考えちゃいけんねぇ。

私じゃけえできることも、他の人には無理なこともある。

私を基準に考えちゃいけん。

体の不自由な人の目線てどんなじゃろか?

日々が、しんどいじゃろうねぇ。

単純作業しとる時に、いろいろ考えてみよう。

そんで、改めて動ける自分、そこに持たされた使命について考えよう。

私にしかできんこと、私にしか為し得ない使命があるけん、神は私に活動できる力を下さっとるんよねぇ。

この体力も、何らかの作用があれば先日のようにメタメタになる。

私を生かす存在があり、その意図のもと動かされとる。

その存在が私の体調を狂わそうって思うたら、途端におかしくなるじゃろう。

そういう大きな存在の意思の前には、私がいかに小細工しようとムダなんよ。

それは、誰にでも言えるんじゃないんかのう。

ある一時期だけで考えたら理不尽なことってあるんじゃけど、いつの間にか帳尻は合うようになっとるんよ。

東日本に住んでおりながら、福島原発事故の時放射能の雲をなぜか避けられたり、さらに安全な土地で農業できたり。

あり得ないことがずっと起こると、何者かの意思で動かされとるいうのがわかる。

その時その時を誠実に生き、努力し、悪をタタキ続けておれば、いずれ必ず報われる時も来よう。

いかにアブク銭稼いだところで、そんなもんどこかで失うじゃろう。

必要なもんは、必要な時期に必要なだけ与えられる。

そんで使命を逸脱せずに精進する時、天は味方する。

自然の法則に反するもんは、いずれその反作用を受ける。

セシウムカルトn崎なんかも、年収が自慢で自慢でしょうがなかったんじゃけど、別れた奥さんに慰謝料たっぷり搾り取られ、その年収ゆえに動けない。

福島原発が安全なことにして、開き直って被曝を見んようにしとるんじゃけど、その病気でなるようになるじゃろう。

こいつの稼ぎも、狂気の支配するテーマパークがぼったくったもん。

悪銭身につかずとは、まさにその通り。

やはり、努力精進して、与えられとることに気づき、生かされ支えられとることに感謝すべきじゃのう。

字面で言うのは簡単。

しかし、大事なのは実感することなんよ。