久々に体を壊したことによる効用として、いかに私が強過ぎるかいうのと、体が動くありがたさを痛感しました。
体の痛さで動けんようになると、やはり痛みで動けん人の大変さがわかり、しんどいのもしかり。
修行前のけだるい倦怠感や製薬メーカー時代の体力のダウンなど、ヤバかった時期の不自由さも思い出しました。
職場でくまなく動き回り、何種類もの外国人客と互角に渡り合い、休みの日は外国語勉強しながら農業をやり、さらに執筆して勉強会やって、悪人タタキやって、作曲も。
東京から九州まで、普通列車で往復なんかもする。
どんだけだよ!
いや~十分でしょう、十分。
一般の人はねぇ、仕事だけでアップアップなんよ。
そこを曲げて、突拍子もないこと発見しては、それでまたまくる!
化け物ですな、化け物。
未だ時来たらず、本来あるべき姿になっとらんだけで、動きとしてはかなりのもんです。
何人分かの動きを、同時にやっとって平気。
そんな状態って、ありがたい以外の何もんでもない。
感謝感謝、ひたすら感謝です。
私の若い頃からの、修行の賜物です。
若い頃からの積み重ねって、長いほど大事よね。
小周天から始まり、肉体が快調なことがずっとじゃと、それが当たり前になってしもうて、動けることに感謝なんぞしばらくしとらんかった。
いけんのう。
ダメじゃのう。
感謝がなくてはダメじゃ。
そういう意味でも、今回のことはよかったと言える。
体が頑健であることに、奢っちゃいけんのう。
いつもの快調さのもとに、他の人のこと考えちゃいけんねぇ。
私じゃけえできることも、他の人には無理なこともある。
私を基準に考えちゃいけん。
体の不自由な人の目線てどんなじゃろか?
日々が、しんどいじゃろうねぇ。
単純作業しとる時に、いろいろ考えてみよう。
そんで、改めて動ける自分、そこに持たされた使命について考えよう。
私にしかできんこと、私にしか為し得ない使命があるけん、神は私に活動できる力を下さっとるんよねぇ。
この体力も、何らかの作用があれば先日のようにメタメタになる。
私を生かす存在があり、その意図のもと動かされとる。
その存在が私の体調を狂わそうって思うたら、途端におかしくなるじゃろう。
そういう大きな存在の意思の前には、私がいかに小細工しようとムダなんよ。
それは、誰にでも言えるんじゃないんかのう。
ある一時期だけで考えたら理不尽なことってあるんじゃけど、いつの間にか帳尻は合うようになっとるんよ。
東日本に住んでおりながら、福島原発事故の時放射能の雲をなぜか避けられたり、さらに安全な土地で農業できたり。
あり得ないことがずっと起こると、何者かの意思で動かされとるいうのがわかる。
その時その時を誠実に生き、努力し、悪をタタキ続けておれば、いずれ必ず報われる時も来よう。
いかにアブク銭稼いだところで、そんなもんどこかで失うじゃろう。
必要なもんは、必要な時期に必要なだけ与えられる。
そんで使命を逸脱せずに精進する時、天は味方する。
自然の法則に反するもんは、いずれその反作用を受ける。
セシウムカルトn崎なんかも、年収が自慢で自慢でしょうがなかったんじゃけど、別れた奥さんに慰謝料たっぷり搾り取られ、その年収ゆえに動けない。
福島原発が安全なことにして、開き直って被曝を見んようにしとるんじゃけど、その病気でなるようになるじゃろう。
こいつの稼ぎも、狂気の支配するテーマパークがぼったくったもん。
悪銭身につかずとは、まさにその通り。
やはり、努力精進して、与えられとることに気づき、生かされ支えられとることに感謝すべきじゃのう。
字面で言うのは簡単。
しかし、大事なのは実感することなんよ。