かつて擬似アスペルガーに陥った私は、それがゆえに大変苦労しました。
今日は見かけ上同じように見える、アスペルガーと擬似アスペルガーの違いについて話をしたいと思います。
学生時代、バイトを始めた私は自分の仕事の出来なさを痛感し、嘆きました。
それは、自分自身の不甲斐なさに対する怒りにもなりました。
そうこうするうちに、このままじゃまずいと感じ、字面だけのことと実際に体を動かしてやることの違いに関して深く考えました。
やはり、言葉だけのことと実際は違います。
その綺麗事では片づけられないことは、相応の努力で克服するしかないと思い、バイトの作業一つ一つに対し、それを完全に回すにはどうすべきか考えました。
私の擬似アスペルガーは、実家の虐待やアスペルガーの同級生のH君と似たようなことをやるうちに形成されておりました。
H君の話のくどさに辟易して彼から離れたはずの私、あのくどさのひどさに耐えられず見放した私。
しかし、バイトでは彼と同じようなことをしとる。
H君を罵倒し裏切ってまで、その行動様式を嫌いまくった私。
しかし気がつけば、H君と似たり寄ったりのことをしとる。
バカバカバカ、俺の大バカ!
H君に対する罪悪感が込み上げてきた。
H君すまんかった、許してくれ。
何度も独り言で呟いた。
しかし、それではH君のあり方、あれでええのか?
彼とは離れ離れになった今、文通でもしながら許しを請い再びくどい世界に埋没するのが正しいのか?
いや、それは違う。
あれでは、自分から何事か成すことはできんじゃろう。
やはり、離れてよかったんじゃ。
直すべきは自分の行動様式であり、バリバリ仕事をこなす周囲の有能な人を真似るべきじゃ。
そう思い、バイト先におったゼウパイのオッサンの動きを言動から真似てみた。
いつも不倫相手を探しまくる心のあり方はともかく、仕事の進め方はなんとなくコツが掴めてきた。
作業一つ一つを、真似から入ってそれが空気のように当たり前に出るようにしていった。
それがつなぎ合わさると、仕事が回るようになっていった。
しかし、擬似アスペルガーを追い出すのには、想像以上の苦しみがあったのは言うまでもない。
かぶったお面が顔に食い込み、それをはがすのに生皮を切りながらはがすのに似とった。
擬似アスペルガーとはいえ、アスペルガーのようなことはアスペルガーのようなこと。
その染み込んだ年数がどんだけかによって、その苦労は変わってきよる。
私は比較的早く気づいたと思う。
この、かなり追い詰められた状況、かなり自分の状況を深刻じゃと思うことがあっても、それでも直せない人が本当のアスペルガーの人なんよ。
アスペルガーのH君は医者の長男じゃったけえ、医者になることを志望しとった。
しかし、学力が伴わんのに、現役時代からもしあの医科大学に落ちたらどうしようとか言うとった。
周囲から見たら、九分九厘落ちることはミエミエなんよ。
それは例えば、私が数年後大相撲で幕内優勝できんかったらどうしようとか言うのと同じレベル。
普通の体格の私が、一生かけても幕内優勝なんかはできんじゃろう。
そんな理想を、いやそれでも3年で諦め他に転進したH君は、やはり現実を見れた方なんかもしれん。
死ぬ気で頑張ったんじゃろうさ、それこそ3年も。
しかし、やれんかったらおまえは打ち首じゃとか言われたとして、そのまま打ち首になるのがアスペルガーじゃのう。
打ち首にならんためには、それをこなすか逃げるかすりゃええ。
しかし、それができんのよ。
最近では、一緒に原野を開墾しとったYさんがおるんじゃけど、打ち首がかかってもやはりまともにできん。
エンドウ豆一つ作るのに3年もムダにし、何をやっとるんじゃ!とも思うた。
まあ普通の人の感覚では、おおよそあり得ないもんなんじゃけど、アスペルガーとわかると怒ってもムダなことがわかった。
遠隔地で電話とかのやり取りだけで、当たり前のようにカイアポや網干メロン作る前やんなんかの方が、ずっとマトモで普通です。
Yさんに、今年サツマイモをこんだけ作れ、作れんかったら打ち首じゃ言うても無理。
しかし、前やんとかならゴチャゴチャわめきながらなんとかするじゃろう。
擬似アスペルガーの人も、元は普通の人じゃけえ、やはりなんとかするじゃろう。
H君とYさんに共通するのは、魂の民族がゾロアスター系いうこと。
ゾロアスター系には、こうしたくどさを伴うアスペルガーの人がまま見受けられる。
ゾロアスター系にはイジメる側とイジメられる側とがあり、イジメられる側にアスペルガーは多いように思います。